2016年4月25日月曜日

混沌と秩序〜大安吉日〜

先日、結婚式を終えた。
誰でもない、自分のである。

1月末からブライダル・エステなるものに通い、ドレスを選び、白無垢を合わせ、自分のカツラ姿に爆笑し、披露宴で流すための新郎・新婦の生い立ちビデオを作り、引き出物やBGMや装花を選び、直前で「まつエク」と「ジェルネイル」という慣れないものの装着を姉の指南で済ませた。

当日、挙式は赤坂の某・山王神社で 執り行われた。

祝詞奏上では、神主の声の震えと「中野区・渡辺◯○(父の名前)の愛娘ぇぇ〜」という部分が妙に可笑しくて、「まずい!声を出して笑ってしまう!」と咄嗟にうつむき、震えながら「うぐぅ!」と必死で笑いの波を封じ込めようとしていた。 そういう「笑ってはいけない所での笑いのツボ」に関しては、姉と同じものを共有しているので、姉の方は絶対に向かないようにしていた。笑いを堪える姉の姿が少しでも視界に入ってしまったら、もうOUTだとわかっていたから・・・。なんとか咳払いなどで誤魔化したものの、後ろにいた介添えさんにはバレていたに違いない。
(後日、新婚旅行先の箱根から姉にその件についてメールで聞いてみた所、「やっぱり!いやあ、あれは本当に辛かったよ」とやはり同じ思いでいたようだ。共感できた嬉しさと、自分の判断の正しさにホッとした。)

それからハイヤーで披露宴会場のホテル椿◯荘へ移動し、雨の降りそうな中、庭園での撮影が始まった。ここは、ホテルと提携しているプロのカメラマンに依頼していたのだが、のっけから「もっとくっついてみて!うん!そうよ〜♡」と妙なノリにここでも笑いを堪えた。出来上がりがコワ楽しみである。

そして、披露宴が始まった。
今回は、家族親族のみのとても小さなものにしたので、想像では盛大には盛り上がらないものの、アットホームな雰囲気で笑いに包まれる・・・予定であった。
現実は、「混沌」と「秩序」を絵に描いたようなものになった。
もちろん、「混沌」は私・新婦側のテーブルであり、「秩序」は新郎側のテーブルである。

そもそも、挙式の始まる前の親族紹介でも、うちの父は「え〜、まずは家内の・・・えっと、名前なんだったっけ?」や「姪はのちほど精神病院から向かうそうです。(一同固まる)あ、いえね、精神科医なんですよ(これは本当)あはは!」など、のっけから結構飛ばしていたのだが、これはまだ場を和らげようとする父独特のジョーダン外交術であるから、ヒヤヒヤしたものの、まあ予想はしていたことだった。

ところが、披露宴ではさらなるカオスが待ち受けていた。
最終兵器「叔母」である。

シラフの状態でも新郎兄が「なんか・・・一人だけテンション違う人がいるんだけど」と弟に耳打ちする程のお方なのだが、披露宴が始まる頃にはお酒というガソリンを満タンにして、アクセル全開!
ビールを手にテーブルを周れば「えみちゃん!それで5kg痩せたのぉ〜!?それで普通だよ!」やら、新居の場所を言えば「◯◯!?田舎だね〜!」(実際は自分の家から遠いというだけ)やら、「ねえ〜、もっと面白いことないの〜?」やら、ここまでは私が笑い飛ばしたり、言い返したりかわしたりすれば良いのでまだ良かったのだが、さらにガソリンが入ると新郎側テーブルにも飛び火しだした。この辺りで、もはや鎮火は無理だろう、と腹を据えた。私もふと気づけば、現実に対応しきれない時の痛み止めのおクスリ「酒」を、シャンパン、ビール、赤・白ワインとズラリと並べ、煽り始めていた。

気がつけばお開きの時間となり、ひとりひとりにギフトを手渡しながらお礼をいうと、叔母は「ごめんね〜、私やっぱりこういう場むいてないみたい」と言ったので、「うん、そうですね。でも嫌いじゃないよ。」と答えた。(あとで考えたら「いや、嫌いかも」とも思ったが)

親族は、時に手に負えない。
家族もそうだ。
でも、アウト・オブ・コントロールだからこそ面白いのかもしれない。
その後、友人夫妻と合流して飲んだ席で、格好の酒の肴話になったし。

私の思い描いた大安吉日は空想に終わったものの、結婚した事実と、混沌とした思い出は残った。

これからは、混沌もサラッと飲み干せる大きな器を作っていきたい。
(三々九度では三つの器のお神酒を飲み干したが・・・)