2018年2月13日火曜日

入院回顧録〜悪阻デスロード、南アルプスの天然水と真夜中の三重奏

え〜、前回の記事からうっかり年をまたいでしまいましたが、素知らぬふりして綴ってまいります。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 入院して早や一週間、数日で退院できるものだと思っていた私の「重症悪阻(じゅうしょうおそ)」なる症状は、点滴で栄養は摂っているものの一向によくなる様子はなかった。

この頃のルーティン:

・朝6時起床。巡回してくる看護士さんに体温と血圧を測ってもらい、お通じの様子、戻した回数、体調などを伝える。
・清掃員が部屋の掃除をしてくれる。
・8時朝食。(私はまだ絶食だったので、他の患者達のごはんの匂いをうっかり嗅いで気持ち悪くならないように布団に潜っていた)
・9時から11時の間に検査や医師による診察など。
・12時昼食(こちらも絶食中につき、白湯や薄いお茶などを飲めたら飲む)
・13時から15時の間に入れる場合は入浴。
・15時から18時、検温、エコー検査、血圧測定、体調の報告など。入浴できなかった場合は熱いおしぼりで身体を拭く)
・18時夕食。(絶食中は憂鬱な時間)
・19時〜20時、夫によるお見舞い。
・21時、就寝。(全く眠くない)

 この間に点滴を日に8回ほどおかわりするのだが、勘の良い看護士さんに当たった場合は、なくなる少し前に覗きに来て次の点滴袋をセットしてくれた。そうでない看護士さんに当たった場合は、自分でブザーを押して(か細い声で)「あの、、点滴なくなりそうなんですが、、、」と伝えるのだが、それもうっかり忘れて袋が空になってから次の点滴を入れる場合は、結構痛いので嫌だった。今にしてみれば小さな小さな悩みだが、この頃はとにかく心身ともに弱っていたので、小さなことが堪えた。それでも点滴の袋に書かれた「ビーフリード輸液」という文字を見て、「これ、牛肉と関係あったりして、、、」なんてくだらない事を考える余裕はあった。

 そんなこんなで食欲は全くなかったこの頃だったが、夏だったこともあって、常に何かを飲みたい、いやガブ飲みしたいという欲はあった。だが実際に口にすると、氷一粒の水分ですらケロッと戻してしまう。それを繰り返しているとだんだん「吐くのが怖い」と思うようになって、氷を口に含んで溶かしても、その水分をも飲み込まずに吐き捨てるようになってしまった。でも、飲みたい。悩んだ末、入院中大変お世話になった「スマホ」でYouTubeを起動した。自分は何も飲めないから、せめて他人が何かをぐびぐび飲んでいるところが見たい!!(ただし、アルコールはダメ)
今思えば笑ってしまうが、この時は本気でそう願っていた。

 検索欄に「飲み物、CM」と打ち込むと、炭酸飲料やお茶など歴代のCMがズラ〜っと出てくる。片っ端から見まくった中で、一番私の心の喉を潤してくれたのは、1992年のサントリー「南アルプスの天然水」のCMだった。遠山景織子扮する美少女が、アルプスを背景にコップ一杯の水をゴクゴク飲むCMの爽やかなこと!。1990年の加勢大周のコカコーラのCMも「死ぬほど喉が渇いている砂漠の真ん中で爽やかな人がゴクゴク飲む」という設定は良かったものの、想像の中でも炭酸飲料はその時の私には刺激が強すぎたので、結局一番シンプルな「水」に軍配が上がった。

 そんな風に、苦しみの中でもなんとか小さな癒しや楽しみを見つけられるようになったある日、看護士さんに「◯◯さん(私の苗字)、今日からお部屋移動してもらってもいいですか?」と言われた。特に問題はなかったので「いいですよ」というと、4人部屋とはいえ、誰もいない部屋に移された。「明日からまた3人入ってくるけど、今日は1人ですよ、ゆっくりできるね」と言われ、テンションが上がった。
 
 まず、それまではイヤホンでコソコソと聞いていた音楽をスピーカーにして(とはいえ小心者なので音量小で)流した。この頃はとにかく優しい音しか受け入れられなかったので、オカリナ奏者の宗次郎や、エンヤなどを主に聞いていた。いわゆる癒し系の音楽である。人にはもちろん、あらゆるもの〜音や空気〜にも優しさを求めていたのだと思う。(空気にはしょっちゅう裏切られ、「匂い」という暴力を受けていたが、、)

 それから、気持ち悪くなったら心置き無く吐けるというのも、誰にも気を遣わないで良い分、ストレスが減った。変な話だが、同じ入院患者でも私のようにツワリで入院している人はほとんどいなかったので、同室で「おえ〜」とするのも申し訳ないと思っていたのだった。(トイレにももちろん行ったけれど、それでも間に合わないほど吐き気の波が押し寄せていた)

 個室の方が良いことはわかっていたけれど、いつまで長引くかわからない入院で、相部屋の何倍もする個室料金を払うのは気が引けたので、この棚ぼた的な状況は1日とはいえかなり嬉しかった。この日はいつもより良く眠れた。

 翌朝、カーテン越しにバタバタと足音がして、看護士さんが数人の患者を引き連れて入って来た。看護士さんとやり取りをする声を聞いて、「ん?ちょっと待てよ?」と思った。声の感じと会話の内容が、どう若く見積もっても「おばあちゃん」であり、私のいたフロアは産科病棟だったので、「おや?」と思ったのだった。だが、看護士さんの説明ですぐに謎が解けた。新しいルームメイト達は確かにおばあちゃん達だったのだが、お三方とも目の手術で入院し、眼科専用の入院部屋はないので、空いている産科のベッドに案内されたのだった。

 ツワリの妊婦と老女3人。なんだかシュールな組み合わせ。だけど、ちょっと面白い。響き的に「がんこ爺さん孫3人」ぽいし。いや、全然違うか。
普段の私だったら、迷わずカーテンを開けて会話を楽しむところだが、いかんせん常に気持ちが悪い。なので、心の中で相槌を打ちつつ、おばあちゃん達の会話をカーテン越しに聞いて楽しむことにした。途中でおじいちゃん達がお見舞いに来た時は、みんなことごとく話が噛み合ってないのも実に味わい深かった。

 廊下を出たところに新生児室があったのだが、用を足すついでに立ち寄ったらしいおばあちゃんの1人が「かわいいねぇ〜、なんか、涙が出ちゃった」と言うのを聞いて、私まで優しくされた気分になり、涙ぐんだ。

 夜になり、あっという間に就寝時間になった。それまでの相部屋では、消灯の9時になってもすぐに眠れる人などおらず、みんなナンダカンダ深夜まで起きていた。ところがおばあちゃんズは消灯後すぐに、いや消灯前からグーグー眠りに就いていた。さすがおばあちゃんズ。

 「ふう、、これからまた長い夜が始まるな、、どうやって暇を潰そうか」と考え始めたその時、し〜んとした部屋に「ぷうう」という音が響き渡った。「え?ちょっと、パードゥン?」と思う間もなく、違う方向から「ぶ、ぶ、ぶ」という重低音、そしてしばらくしてまた別の方角から「んスゥ〜、、ぶ!」というお茶目な音。私は暗闇の中、「ねえ、うそでしょ?ねえ!」と笑いを噛み殺した。何かの縁で同室になった淑女3人による、真夜中の三重奏のプレゼント。そして奇跡的なタイミングで見事なハーモニーを奏でていることを、彼女達自身は知らない。知るのは私だけ。ジョン・ケージもびっくりの前衛的音楽。

 結局その夜は「そろそろ演奏終わったかな?寝ようかな?」というタイミングでまた微かにベース音が鳴り響いたりするものだから、可笑しくて可笑しくて、気持ちが悪いのも忘れて、1時頃まで寝られなかった。でも、後にも先にもこんな愉快な寝不足、いや、寝屁足はなかった。


〜つづく〜