2017年12月22日金曜日

入院回顧録〜三角折りに祈りを込めて〜

 入院してすぐに下された診断結果は「重症妊娠悪阻(じゅうしょうにんしんおそ)」というものだった。名前からして既にオソろしい病名だが、症状も実にオソろしく、食べ物はもちろんのこと、水すら一滴も口にできない状況だった。重度の脱水・飢餓症状を起こしているのですぐに点滴を打たれたのだが、その後2週間ほどは口からは氷すら受け付けななかった為、100%点滴からの栄養で生きつないでいる状態だった。
 
 病室は4人の相部屋だったのだが、看護婦さんとのやりとりを聞いていると、他の患者は切迫流産で入院している人が多く、つわりで入院している妊婦はどうやら私ひとりのようだった。後で調べてみた所、重症妊娠悪阻になる確率は妊婦全体の1~5%、その内入院が必要なほどのケースは1~2%程度とのことで、そりゃあ私以外見当たらない訳だわ、、、と納得した。(ちなみに普通のつわりでは保険は適用外だが、重症悪阻では病気扱いになり、保険も適用されるというのもこの時知った)
 
 そんなレアで貴重な経験、なんて思えるようになるのはずっと後のことで、この頃は本当に、本当〜〜〜〜〜に辛かった。いや、辛いというより「しんどい」のようが言葉の響きとしてしっくりくる辛さ。ベッドはリモコンで角度が変えられるようになっていたのだが、それを押すことすらしんどくて、トイレに行くのもままならない程だった。
  
 24時間点滴をし続けている為、Nature's callこと尿意は数時間起きにやってくるのだが、「トイレに行く」というのがここまで大仕事に感じたことはない。意を決して起き上がり、点滴をぶら下げている器具ごとガラガラと引きずってトイレへ向かう。この時、ノックして先客がいた時のダメージは大きい。(死にそうな表情のまま、一度引き返すことになる)

 やっとこさ用を足し、トイレットペーパーを引っ張り出す、、、アレ?引っ張り出せない。ようやくつまめた紙の先端を引っ張ると、ビリビリッといや〜な感じに線状に破けてしまう。ダメージ甚大。おそらく、セレブが行くような高級な病院でない限り、病院で使われているトイレットペーパーというのは大概このように薄くて質の悪いものばかりなんだろうな、、と思いながら血眼で紙を引っ掻き回していた。

 この経験を元に、この頃編み出したのが「トイレットペーパーの三角折り」だ。昔からハイソなお店や、お客さんが来る前の家のトイレでみかけられるアレである。
 トイレは1フロアに3つあり、その中でも自分の病室に近い2つを使っていたのだが、もし次の回までに誰も入らなければ、もちろん私が入ることになる。その時、地獄の苦しみの中でせめてトイレットペーパーをスムースに引っ張り出すことができたなら、嗚呼できたなら、、そんな淡い想いを込めて、用が済んでから(一応手を洗ってから)せっせと紙を三角に折っていた。毎回、みんなもこの便利さに気付いてやってくれるといいな、、と思いながら折っていたが、儚い想いは届かず、毎回トイレに入るたびにビリビリに破けた紙とハムスターのように格闘していた。それでも、この祈りにも似た「トイレットペーパーの三角折り」は結局退院まで続けた。一度だけ、三角形に折られていて「ああ、やっと誰かが私の想いに応えてくれた、、」と感動したことがあるが、あの丁寧なようで雑な折り方を思い出すと、私が折ったものだったのかもしれない。

 そんな、トイレに行くにも一大事の患者達はシャワーを浴びるのも命がけなので、毎日2回、ホットタオルが配られた。これで体をフキフキするのだが、それすらしんどいほど体力がない。なので、ほぼ毎回看護婦さんに背中をふいてもらっていた。おかげでなんとか清潔は保てていたものの、頭は洗えない。不思議とそんなに不快感はなかったので平気に感じていたのだが、ある日鏡をちゃんと見ると、やたら髪に「束感」が出ていることに気がついた。無造作ヘアーを目指す人がこってりしたワックスを使って作る「束感」が自然に作られているのである。この時、お風呂に入らなくても生きてはいけるんだということ、そしてなんとなく「レゲエ」が聴きたい気分になることを知った。(それは多分、自分の頭の質感にボブ・マーリーを重ねたからに相違ない)

〜次回、「悪阻デスロード、真夜中の三重奏」〜、お楽しみに!




2017年12月11日月曜日

入院回顧録〜悪阻デスロードのはじまり〜

 リオ・オリンピックの開幕と同時に始まり、閉幕と同時に終わると思われたツワリは、「いやいや!まだまだパラリンピックもあるぜぇ〜」とばかりに、ある夜急にぶり返して来た。しかもそれまでの気持ちの悪さとはレベルが違い、ひたすらトイレと布団を這うように往復する状態が続いた。寝そべっても水を飲んでも、何をしても物凄く気持ちが悪く、戻してしまう。夏だから、喉は乾いているのに何を飲んでもすぐに出してしまうので、最後は怖くて水すら飲めなくなってしまった。

 真夜中近く、とうとう「もう無理・・・T君、病院に電話して」と夫に頼み、夜間診療をしている近隣の大学病院へタクシーで向かった。この、タクシーを待っている間とタクシーで病院へ向かっている時間は途方もなく長く感じられた。

 着いてすぐに自分で検温をし血圧を測ったのだが、それすらパスしたいほど気持ち悪さは限界に達していた。尿検査をし、診察を受けたら脱水症状が起きているので点滴をしますと言われベッドに横になった。朦朧としていたので記憶があまりないのだが、この時はまだ点滴はあくまで水分補給のためであって、気持ち悪さを軽減するものではないということを知らなかった。そして、この病院では入院はできないとのことで、行きと同じ気持ち悪さのまままたタクシーに乗り、帰宅した。

 翌日、妊娠発覚時から通っていた近所の小さなクリニックまで出勤前の夫に送ってもらった。いつもは予約をしてもかなり待つのだが、この時は明らかに瀕死の顔をしてベンチにへたばっている私を見て「そこの方、こちらへどうぞ!」と簡易ベッドのある部屋に通してくれた。顔色からして脱水症状とわかったらしく、すぐに点滴処置を施された。「うちは見ての通り小さいし、入院はできないけど、これはちょっと重症みたいだから、良かったらいい病院紹介するわね」と言うので、「はい・・・もうすぐに・・お願い・・します・・・」と息も絶え絶えに頼んだ。

 そのまま紹介された病院へタクシーで向かおうと思ったが、そう言えば結婚したのに保険証を切り替えていなかったことを思い出し、死にそうだけど、せっかく近いし、と市政市役所へ向かった。

 文字通り受付カウンターにへばりつきながら「あのう〜ちょっと今もの凄く気持ち悪いんですが、今から入院するのに保険証を切り替えたくって・・・うぅ!!」。受付係の人、怖かっただろうなあと今になって思う。。そんなゾンビ状態の私のためにパイプ椅子で簡易ベッドまで作ってくれ、書類処理の間横にならせてもらい、何とか手続きは済んだ。さらには優しい女性職員ふたりがタクシーまで付き添ってくれて、「〇〇病院まで。妊婦さんなので安全運転おねがいします!」とまで言ってくれた。タクシーに揺られながら、涙が出そうになった。(この恩忘れまじと、出産後、ご報告とお礼に行ったらとても喜んでくれた。)

 おかげさまで無事病院に到着し、震える手でなんとか受付けを済ませ、病室に入った。渡された薄い花柄/ピンク色のパジャマに着替え、点滴の管を通された。しばらくして少しだけ落ち着いたので、夫と両親にラインを送った。
 「〇〇病院に入院しました。最低でも3日は入院することになりそうです。」生まれて初めての入院で、この時は「3日かあ〜、長いなあ」と思っていたのだが、それがまさか2ヶ月半にも及ぶことになるとは、この時は予想だにしていなかった・・・。


〜つづく〜


 












2017年12月6日水曜日

入院回顧録 〜それはジワジワとはじまった〜

 今日も息子のJアラート(授乳アラート)で中断する可能性はありますが、とにかくブログ更新を続けてみます。

 妊娠を疑ったのは、去年の7月の半ば。なんだか胸が張るなあ〜と思ってドキドキ検査薬を使ってみたら、見事的中。それからクリニックで正式に診断してもらい、妊娠6週目ということが判った。調べてみると、一般的にツワリが始まるのは5、6週目からということで、いつ襲ってくるのかわからないその未知の症状にビクビクしながら過ごしていた。

 その頃ちょうど仕事で大量の納品依頼があり、「どうか納品までは始まらないでください・・・神様ツワリ様」と心の中で拝んでいた。実は身体の不調というか、どう考えても本調子ではないことは感じていたのだが、だましだまし頑張って、なんとか無事納品することができた。それが8月6日。ちょうどリオ・オリンピックが始まった頃だった。

 納品を済ませた翌日から、早速じわじわとそれらしき波が押し寄せてきた。
(余談だが、仕事を続けているとツワリが軽い、というのは本当かもしれないと思った。年末に風邪を引くのと一緒で、緊張感がある程度の抑止力になっているというか。。)

 クリニックでは「ツワリで病院に来てもらっても特にお薬とかはないから、とにかく休むしかないのよね〜」と言われていたので、ひたすら家でゴロゴロしていた。

 そんな時、風邪なんかだと本や雑誌を読んだりしてそれなりに楽しめるのだが、なんだか細かい文字を読む気にならない。かといって、シーンとした部屋で寝そべっていても発狂してしまうので、テレビをつける。オリンピック一色なので、なんとなく見てしまう。安室奈美恵のオリンピックのテーマソングが流れる。「きみ〜だけ〜の〜 ためぇ〜 のヒ〜ロ〜」アムロちゃんに全く非はないが、この曲を聞くと今でも少しオエッとなってしまう。
 
 こうして8月はひたすら低空飛行のローテンションで自宅療養し、オリンピックにやたらと詳しくなっていった。たまにオエッとなるけれど、それ以外はまあまあ普通の生活が送れるレベル。
 
 そして8月も終盤に差し掛かったある日、「おや?これはもしかしてツワリ終わったのかな?」と感じた。そしてちょうど翌日、ニューヨークから一時帰国していた友人達と会うことになっていたので、「ツワリも終わって、友達とも遊べるようになったぜイエイ!」と調子に乗って、川崎の岡本太郎美術館にまで遊びに行った。
この日は終始調子が良く、帰りに夫へのお土産としてミスター・ドーナツを買って帰った。「終わったんだ、私のツワリ、終わったんだ!」と幸せを噛み締めながら床に着いた。

 そんな幸せキブンの私をドン底に突き落としたツワリ・エピソードは次回!
乞うご期待!(^0^)




 





My Son 2017

 田中清美さんの名著 "My Son"というタイトルでブログを更新したのを最後に、気がつけば約1年半も経ってしまった。思えばあの記事を書いた数日後、身体の異変を感じて検査、すぐに妊娠確定、それから地獄のつわりの数ヶ月を乗り越え、今年の早春に男の子を出産した。まさか本当のMy sonについて書く日が来るなんて、しかもそれが1年半後だとは前回のブログを書いた時には夢にも思っていなかった。

 妊娠してから出産までの時間と、出産してから今日までの時間と、どちらも濃密かつ千本ノックといった感じで、とにかく毎日を「こなす」のに精一杯で気がつけば今日になっていた、という感じである。

 あまりにも毎日がビュンビュン過ぎ去っていってしまうので、どうしても忘れない内に書き留めて置きたいことを書いておこうと思い立った。まずは、地獄のつわり体験から・・・。と、振っておいて、息子が泣き出したので、続きは明日書くことにします^^(え〜!?)

 おやすみなさい。(その前に、お久しぶりです・・・)