2017年12月11日月曜日

入院回顧録〜悪阻デスロードのはじまり〜

 リオ・オリンピックの開幕と同時に始まり、閉幕と同時に終わると思われたツワリは、「いやいや!まだまだパラリンピックもあるぜぇ〜」とばかりに、ある夜急にぶり返して来た。しかもそれまでの気持ちの悪さとはレベルが違い、ひたすらトイレと布団を這うように往復する状態が続いた。寝そべっても水を飲んでも、何をしても物凄く気持ちが悪く、戻してしまう。夏だから、喉は乾いているのに何を飲んでもすぐに出してしまうので、最後は怖くて水すら飲めなくなってしまった。

 真夜中近く、とうとう「もう無理・・・T君、病院に電話して」と夫に頼み、夜間診療をしている近隣の大学病院へタクシーで向かった。この、タクシーを待っている間とタクシーで病院へ向かっている時間は途方もなく長く感じられた。

 着いてすぐに自分で検温をし血圧を測ったのだが、それすらパスしたいほど気持ち悪さは限界に達していた。尿検査をし、診察を受けたら脱水症状が起きているので点滴をしますと言われベッドに横になった。朦朧としていたので記憶があまりないのだが、この時はまだ点滴はあくまで水分補給のためであって、気持ち悪さを軽減するものではないということを知らなかった。そして、この病院では入院はできないとのことで、行きと同じ気持ち悪さのまままたタクシーに乗り、帰宅した。

 翌日、妊娠発覚時から通っていた近所の小さなクリニックまで出勤前の夫に送ってもらった。いつもは予約をしてもかなり待つのだが、この時は明らかに瀕死の顔をしてベンチにへたばっている私を見て「そこの方、こちらへどうぞ!」と簡易ベッドのある部屋に通してくれた。顔色からして脱水症状とわかったらしく、すぐに点滴処置を施された。「うちは見ての通り小さいし、入院はできないけど、これはちょっと重症みたいだから、良かったらいい病院紹介するわね」と言うので、「はい・・・もうすぐに・・お願い・・します・・・」と息も絶え絶えに頼んだ。

 そのまま紹介された病院へタクシーで向かおうと思ったが、そう言えば結婚したのに保険証を切り替えていなかったことを思い出し、死にそうだけど、せっかく近いし、と市政市役所へ向かった。

 文字通り受付カウンターにへばりつきながら「あのう〜ちょっと今もの凄く気持ち悪いんですが、今から入院するのに保険証を切り替えたくって・・・うぅ!!」。受付係の人、怖かっただろうなあと今になって思う。。そんなゾンビ状態の私のためにパイプ椅子で簡易ベッドまで作ってくれ、書類処理の間横にならせてもらい、何とか手続きは済んだ。さらには優しい女性職員ふたりがタクシーまで付き添ってくれて、「〇〇病院まで。妊婦さんなので安全運転おねがいします!」とまで言ってくれた。タクシーに揺られながら、涙が出そうになった。(この恩忘れまじと、出産後、ご報告とお礼に行ったらとても喜んでくれた。)

 おかげさまで無事病院に到着し、震える手でなんとか受付けを済ませ、病室に入った。渡された薄い花柄/ピンク色のパジャマに着替え、点滴の管を通された。しばらくして少しだけ落ち着いたので、夫と両親にラインを送った。
 「〇〇病院に入院しました。最低でも3日は入院することになりそうです。」生まれて初めての入院で、この時は「3日かあ〜、長いなあ」と思っていたのだが、それがまさか2ヶ月半にも及ぶことになるとは、この時は予想だにしていなかった・・・。


〜つづく〜


 












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