入院してすぐに下された診断結果は「重症妊娠悪阻(じゅうしょうにんしんおそ)」というものだった。名前からして既にオソろしい病名だが、症状も実にオソろしく、食べ物はもちろんのこと、水すら一滴も口にできない状況だった。重度の脱水・飢餓症状を起こしているのですぐに点滴を打たれたのだが、その後2週間ほどは口からは氷すら受け付けななかった為、100%点滴からの栄養で生きつないでいる状態だった。
病室は4人の相部屋だったのだが、看護婦さんとのやりとりを聞いていると、他の患者は切迫流産で入院している人が多く、つわりで入院している妊婦はどうやら私ひとりのようだった。後で調べてみた所、重症妊娠悪阻になる確率は妊婦全体の1~5%、その内入院が必要なほどのケースは1~2%程度とのことで、そりゃあ私以外見当たらない訳だわ、、、と納得した。(ちなみに普通のつわりでは保険は適用外だが、重症悪阻では病気扱いになり、保険も適用されるというのもこの時知った)
そんなレアで貴重な経験、なんて思えるようになるのはずっと後のことで、この頃は本当に、本当〜〜〜〜〜に辛かった。いや、辛いというより「しんどい」のようが言葉の響きとしてしっくりくる辛さ。ベッドはリモコンで角度が変えられるようになっていたのだが、それを押すことすらしんどくて、トイレに行くのもままならない程だった。
24時間点滴をし続けている為、Nature's callこと尿意は数時間起きにやってくるのだが、「トイレに行く」というのがここまで大仕事に感じたことはない。意を決して起き上がり、点滴をぶら下げている器具ごとガラガラと引きずってトイレへ向かう。この時、ノックして先客がいた時のダメージは大きい。(死にそうな表情のまま、一度引き返すことになる)
やっとこさ用を足し、トイレットペーパーを引っ張り出す、、、アレ?引っ張り出せない。ようやくつまめた紙の先端を引っ張ると、ビリビリッといや〜な感じに線状に破けてしまう。ダメージ甚大。おそらく、セレブが行くような高級な病院でない限り、病院で使われているトイレットペーパーというのは大概このように薄くて質の悪いものばかりなんだろうな、、と思いながら血眼で紙を引っ掻き回していた。
この経験を元に、この頃編み出したのが「トイレットペーパーの三角折り」だ。昔からハイソなお店や、お客さんが来る前の家のトイレでみかけられるアレである。
トイレは1フロアに3つあり、その中でも自分の病室に近い2つを使っていたのだが、もし次の回までに誰も入らなければ、もちろん私が入ることになる。その時、地獄の苦しみの中でせめてトイレットペーパーをスムースに引っ張り出すことができたなら、嗚呼できたなら、、そんな淡い想いを込めて、用が済んでから(一応手を洗ってから)せっせと紙を三角に折っていた。毎回、みんなもこの便利さに気付いてやってくれるといいな、、と思いながら折っていたが、儚い想いは届かず、毎回トイレに入るたびにビリビリに破けた紙とハムスターのように格闘していた。それでも、この祈りにも似た「トイレットペーパーの三角折り」は結局退院まで続けた。一度だけ、三角形に折られていて「ああ、やっと誰かが私の想いに応えてくれた、、」と感動したことがあるが、あの丁寧なようで雑な折り方を思い出すと、私が折ったものだったのかもしれない。
そんな、トイレに行くにも一大事の患者達はシャワーを浴びるのも命がけなので、毎日2回、ホットタオルが配られた。これで体をフキフキするのだが、それすらしんどいほど体力がない。なので、ほぼ毎回看護婦さんに背中をふいてもらっていた。おかげでなんとか清潔は保てていたものの、頭は洗えない。不思議とそんなに不快感はなかったので平気に感じていたのだが、ある日鏡をちゃんと見ると、やたら髪に「束感」が出ていることに気がついた。無造作ヘアーを目指す人がこってりしたワックスを使って作る「束感」が自然に作られているのである。この時、お風呂に入らなくても生きてはいけるんだということ、そしてなんとなく「レゲエ」が聴きたい気分になることを知った。(それは多分、自分の頭の質感にボブ・マーリーを重ねたからに相違ない)
〜次回、「悪阻デスロード、真夜中の三重奏」〜、お楽しみに!
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