2015年9月27日日曜日

トゥルー・ストーリーズ

先週から引きずっていた風邪を完全にこじらせてしまい、声も出ず、床に伏す以外ないので、友人から借りたポール・オースターの「トゥルー・ストーリーズ」を読んでいた。その中に、ソフィ・カルに宛てた「ゴッサム・ハンドブック」という章があり、下記のような一節があった。

「パンやチーズを蓄えておくこと。家を出るたびに、サンドイッチを三つ四つ作ってポケットに入れていくこと。腹を空かせた人を見るたびに、サンドイッチをひとつ渡すこと。」

これを読んで、思い出した光景がある。
2011年の、ちょうど今頃の季節だったと思う。

ニューヨークのMTA(地下鉄)でブルックリンからマンハッタンへ向かっていた車内で、ある女性の姿が目に付いた。

白髪が肩くらいまで伸びたおかっぱで、年は判らないが「老女」と言える年齢だった。
窓際の席で、何か申し訳なさそうに、なるべく世の中の邪魔にならないように、縮こまるようにして目をつぶっていた。

その全身からは、悲しみが溢れていた。そして、自分の人生にいい事はもう起こらないであろうという諦めた様子が、何度もつくため息から伝わってきた。疲れ切った様子からして、始発から終点まで、終点から始発までと、ずっと乗り続けてきたのだろう。

なぜ特別に目に付いたかと言うと、衣服の汚れなどから明らかにホームレスとわかるのだが、汚いという感じはなく、妙に品があったからだ。そして、佇まいが美しかった。

ニューヨークのホームレス達はとても逞しく、車内を"Please help me."と紙コップをジャラジャラ鳴らして周ったり、踊ったり歌ったり、自分の不幸な身の上を大声で演説したり、急に逆ギレしてみたりと、とにかくパワフルに積極的に生きているイメージがあったので、この物静かで品の良いホームレス老女は、逆に目立っていた。

色んな事情をあれこれ想像しながら揺られている間に、電車はマンハッタン・ブリッジを渡り、ウォール・ストリート駅に到着した。 ドアが開くと同時に、私と同じ側に座っていた若い女性が、風のようなさりげなさと素早さで、自分で作ったと思われるサンドイッチを老女の膝の上にそっと置いて降りて行った。ドアが閉まり、ようやく目を開けた老女は、サンドイッチに気がつき、"Oh my god..."と呟き、辺りを見廻して、礼を言うべき人は既に降りたのだと気がつくと、ゆっくりとした動作で大事そうにサンドイッチをカバンにしまった。
そしてまた固く目を閉じて、まるで進んで世の中の罰を受けているような様子で、空中の悲しみを全身で吸収していた。

普段なら、私はよほど気に入った芸を披露したホームレスにしかお金を 渡してこなかったのだが、この老女にだけはどうしても何かをしたかった。
先ほどの若い女性のさりげなさとスピード感にいたく感銘をうけたことと、次のフルトン・ストリート駅で降りなくてはならないことに背中を押され、財布を開いた。
中には1ドル札が数枚と、10ドル札が1枚しか入っていなかった。
それまでホームレスに渡してきた額は、最高で5ドル(とても美しい声で歌う黒人男性に)だったが、普段は1ドルがせいぜいである。そして、ニューヨーカーがホームレスに渡す額の相場も、25セントから1ドルが平均である。

少し迷ったが、10ドルを渡したところで私にとってはお昼1回分程度だと考え、若い女性に倣って、ドアが開いた瞬間に老女の方へ歩み寄り、お札だから飛んではまずいと、膝に組んで置かれた手と手の隙間にそっと差し込んで、降りた。
さりげなくできたかな!?できたかな!?と心臓バクバク興奮している時点で、実にさりげなくなかったと思う。

ドアが閉まり、何気なく(意識たっぷり目に)振り返ると、老女が立ち上がって、窓をバンバン叩きながら、こちらに向かって"Thank you! Thank you!"と叫んでいるのが見えた。そういえば、車内には私しかいなかったのだ。思わず、日本風に照れ笑いを浮かべながらペコペコっとお辞儀をしてしまった。風というよりも水汲みポンプのようになってしまった。

あの老女は今頃、どうしているだろうか?
そして、あの若い女性はポール・オースターを読んでいたのだろうか?

それはもう分かり得ないので、ここまでが、私のトゥルー・ストーリーである。













2015年9月20日日曜日

手品師

先週、とあるデパートでの催事、4日目でのこと。

売り場で実演販売をしていた私の側に、ひとりのおじいさんが寄ってきた。
実演販売の品は、どちらかと言うと女性向けの商品だった為、4日目にしてようやく板に付いてきた口上は引っ込めて、「こんにちは」と普通の声で話しかけてみた。

すると、おじいさんは待ってましたとばかりに、唐突にポケットから赤いスポンジ玉を取り出し、手品を披露し始めた。それは、おそらくは誰もが知っている、片手からもう一方の手に玉を移動させる、昔ながらの手品だった。

ほんわか楽しい気分になって、「今の、どうやったんですか?もう一回やって見せて下さい」とリクエストすると、嬉しそうに何度もやって見せてくれた。「あ、、もう結構です」とも言えずにいると、今度はトランプを使った手品も見せてくれた。こちらも、とてもシンプルかつベーシックなもの。種明かしと小道具の作り方まで教えてくれた。

「わー、すごい」という私の反応に気を良くしてくれたのか、おじいさんはデパートをグルッと周っては私の売り場に戻ってくる、を繰り返して、結局 、計2時間は何かしらを披露してくれたり、喋りかけてきた。その内、「こうした方がもっと売れるんじゃない?」等、私の販売技術についてのアドバイスもしてくるようになった。

他のお客さんもいるので、少しだけ困ったなと感じ始めていた頃、「じゃ、がんばってね!」と風のように去って行った。

その後、閉店まで30分ほどあったのだが、その間にそれまで全く売れなかった商品のひとつが売れた。おじいさんがアドバイスしてくれた方法、「相手が何を求めているかをただ見極めること」を実践しただけで。

「あなたほど私の手品に興味を持ってくれた人はいないよ、孫にも喜ばれないし」と言われたが、私の小学生の頃の将来の夢は「手品師」だったのだということを思い出した。
父がお土産に手品グッズを買ってきてくれたのをきっかけに、忍術や手品の本を夢中で読んだ。

ある日、小学校の何かの発表会でとっておきの手品を披露したところ、クラスメイトのM君に「また渡辺のくだらない手品がはじまったぞ〜!」と冷やかされて、泣いてしまったのを覚えている。それから簡単にくじけたのか、手品への興味も急速に薄れて、そんな夢を持っていたことすら忘れていたが、おじいさんのお陰で数十年ぶりに思い出した。

いつか、またおじいさんとバッタリ会うことがあったら、楽しかった時間とアドバイスのお礼を伝えたい。二つ三つ、種明かし付きの手品を披露しながら。








2015年9月11日金曜日

秋晴れ

ここ数日、とある老舗デパートでの催事の為に、久々に満員電車に揺られて出勤している。

今朝は少しはやく着いたので、デパートの周辺を歩いてみた。

どこからか漂う金木犀の香りと、青い空。

やっぱり、朝は外に出て空を見上げなくてはと実感した。

また再開しよう、神田川・朝散歩。