2015年10月29日木曜日

小さな旅〜姫路編〜


先週、彼の実家のある姫路で、大きな秋祭りがあるというのでお邪魔した。

「魚吹(うすき)の提灯祭り」というそのお祭りは、暗闇の中を竹竿に括りつけた提灯を高く掲げて練り歩き、楼門の前にさしかかるとお互いの提灯を叩き割り合うという、幻想的かつ血の騒ぐものだった。(外国人に見せたら、"Exciting!!"と言うのだろうなあと思った)

冷んやりと澄んだ夜空に浮かぶ上弦の月と、「ヨイヨ!ヨイヨ!」と掛け声を上げながら町内を進むまわし姿の男達の姿がとても印象的だった。

途中、暗がりにぼうっと浮かぶ田んぼや、「シャディのサラダ館」(何なのかはよく解らないが懐かしいものの代表)などに目を奪われ、その都度立ち止まり、またブラブラと神社に向かって歩いた。

ひと通りお祭りの熱気を堪能した後、ベビーカステラのあま〜い匂いが漂ってきたので、買うことにした。ベビーカステラを売っている屋台はたくさんあったのだが、より美味しそうなベビーカステラを求め歩くうち、最後の屋台に行き着いてしまったので、そこで買うことにした。

ブラブラと焼きたてを食べ歩きしながら、ベビーカステラというものは、その美味しそうなあま〜い匂いがたまらないのであって、味はそこまででもないんだなあ、、と思った。(それか、もっと美味しい屋台があったのかもしれない)その感想を口に出して言うと、彼も全く同じように感じていて嬉しかった。

翌日は、近所を案内してもらうことになった。

網干(あぼし)というそのエリアは、用水路や、揖保の糸のお素麺で有名な揖保川など、私にとっては珍しい風景ばかりで、飽きずにずっと歩いていられるなあと感じた。

その中でも、私の心を捉えて離さなかったのが、「橋本町商店街」という古い商店街だった。俗に言う「シャッター通り」なのかなと思ったが、彼曰く、小さい頃は栄えていたらしい。もちろん、当事者にとってはシャッターを下げたかった訳ではなかったのだろうし、悲しいことなのだろうが、そうした栄枯盛衰の跡や、ピカピカでないものがそのままの状態になっていることに、私はとても心が惹かれた。

対照的に、姫路駅から姫路城へ向かう通りにある商店街は、姫路最大の観光地だけあって、人通りが多く、ピカピカで、血が通っているのだが、私は「橋本町商店街」の全盛期を想像しても、こちらの方が好きだなあと思った。

ボロボロの屋根も、失敗や残骸といったネガティブなものではなくて、時を重ねてできたシミやシワというか、枯葉というか、そんな美しささえ感じた。

この春に改修を終えて、真っ白ピカピカの姫路城も壮観だったが、「小さな旅」のタイトル通り、個人的に心に残るものというのはこうした小さなものかも知れない。

これからも沢山の小さな旅を続けていきたいと思う。























2015年10月19日月曜日

磁場のある店

街じゅうに、星の数ほど並んでいる商店の中で、惹きつけられた1軒のお店について。

今年の7月に、美容室帰りに母校の図書室へ向かう道すがら、ピャッと吸い込まれた渋谷の古着屋 。("Birth Death"という)

服にはあまり詳しくない私でも、なにか無性に興味を惹かれる品揃えで、生地や縫製の仕方や時代背景など、私のしている印刷仕事にも共通する価値観がたくさん発見できるのが楽しい。

だが、この店を何度も覗くようになった一番の要因は、 なんと言っても、奇妙な磁場を発している小さな一角だ。音楽やアートや本、ポスターや国籍不明の人形など、どれをとっても物凄く濃厚な引力をもっている品々が揃えられており、始めて訪れた時には呆然としてしまった。
その時店内に流れていた中東のインディーズ音楽を始め、店長らしき男性に色々と教えてもらい、CDを数枚買った。自分の部屋と脳内を、無国籍化したい時にかけている。

「マーケティング」が商売の要だと考える種類の人には決して出来ないであろうセレクションに、久々にゾクゾクしている。

人の目を気にする前に、自分の世界をとことん掘り下げることが、結果的に他人にも響く何かを発するようになる近道なんだなあ、と改めて感じたのだった。




ところせましと並べられた雑貨の間に、
無造作にJoseph Beuysの"Postkarten"(木のポストカード)
が置かれているのも堪らない。

2015年10月11日日曜日

スピード違反

先週、また例の昔ながらの喫茶店に立ち寄った。

まだ数回しか通っていないけれど、早速お気に入りの席ができたので、空いている場合は迷いなくそこに直行する。

今回も、迷わず座ったのだが、注文をとってもらってから「しまった」と少し後悔した。
パーテーション越しの隣の男性客二人の しゃべり声の音量がMAXだったのだ。
公募ガイドを読むのに集中したかったので、席を変えようかとも思ったけれど、(私の大切に思っている)お店の奥様に面倒をかけたくないのと、話の内容がちょっと面白くなってきたので、公募ガイドチェックはそこそこに、盗み聞きを楽しむことにした。

(ちなみに、盗み聞きのことを英語で"eavesdrop"(イーブスドロップ)と言うが、語源が気になり調べた所、"eaves(家の軒)"+"drop(滴り落ちる水滴)"、つまり雨だれから来ているとのことだった。「盗み聞き」より風流な感じがする。)

男性客は、二人ともおそらく30代半ばくらいの、なんらかのベンチャー会社の若い社長同士という感じだった。しきりに、互いの事業計画の意見交換を行っている。
印象は、内容はともかく、とにかく早口だった。

男性A「野菜くるよ、野菜。儲かるよ〜」
男性B「え、ガチ?」
私の心の声・・・(え、ガチ??(白目))

男性A「そうそう、山はいいよぉ、マイナスイオン半端ないからチョー癒されるし」
男性B「わっかる!ラスベガスでもさー、24時間マイナスイオン出す装置あるのよ。あれ、浴びたらノンストップで遊べるよ」
私の心の声・・・(ガチで!?)

と、ひとり密かに会話に合いの手を打って楽しんでいたところで、Aが追加注文のために奥様を呼んだ。

男性A「すいません、コーヒーと、カフェオレください。」

奥様「はい。コーヒーは、マンデリンでよろしいですか?」

男性A「あ、やっぱコーヒーはアイスで、カフェオレはホットで」

奥様「はい。では、コーヒーはアイスで、、こちらはマンデリンでよろ、、」

男性A「あやっぱ、どっちもコーヒー、ふたつともホットで」

奥様「はい。それでは、ホットコーヒーを、お二つですね?マンデリンで、、」

男性「えーと、ひとつはアイスで、ひとつはホットで」

奥様「......あ、それでは、ホットコーヒーとアイスコーヒーをそれぞれお一つずつですね?かしこまりました...」

私の声は危うく「心」の枠をはみ出して、本物の「声」になりそうだった。

「おい!!赤あげて、白下げて、 白あげないで赤下げる、か!!それからマンデリンでいいのか奥様が何度も聞いてるだろ!!答えろ!」と。

さらに悪夢なことに、Aはとにかく異常なくらいの早口で、対して奥様は、悠久の時を体現しているようなゆったりとした口調なのだ。かといって、Aがフェラーリで奥様が牛車なのでは決してなく、Aはやっつけで組み立てた車が速度を守らずただ暴走している感じで、奥様は高級セダンが安全運転でゆっくり静かに走っている、という感じなのだ。

私だったら、ここまで早口で一方的で、しかもコロコロと注文内容を変える客には、マンデリンの「ガチ」ホットを頭頂から注いでしまいそうな所を、この奥様は「イラリ」ともせずに、終始ひたすら誠実に聞き取ろうとし、丁寧に接した。もう、奥様の大大ファンである。

別に、やる気みなぎるベンチャー社長談義をバカにしている訳ではない。
それどころか、笑えるくらい早口になるほど仕事に夢中なのは気持ちがいいと思ったほどだ。
ただ、「顧客心理がどうの」「ニーズに合わせるのが大事」「ユーザー目線」「現場主義」などと超早口で出てくるキーワード達が、先の奥様とのやりとりで机上の空論なんだな、と感じてしまった。
だって、自分の会話の速度で奥様に接して伝わるか、伝わらない場合は誰のせいなのかを全く考えていないのだから。喫茶店の注文時ですら雑なコミュニケーション能力で、どうやって「顧客心理」を操るのか、とても謎である。

それにしても、こういう場面に出会えるからこそ、また行きたくなってしまう。
そして、次回からは「ホットコーヒーを、マンデリンでお願いします」と注文しようと固く決めたのだった。ガチで。





2015年10月5日月曜日

マイ・ベスト・アルバム





誰でも、数十年生きていれば、「擦り切れるくらい聞いたアルバム」というものがあると思う。私の場合、レコードではなくCDだから、実際には擦り切れはしないのだが、擦り傷程度は沢山ついている。

今までに買ったCDは、ほとんどパソコンに音楽データを取り込んでいるのだが、本当に良く聞くものだけはCDアルバム自体をプレーヤーの 上に置いてある。

その中でも、小学校の頃から今まで、どんなに不調な時に聴いても「調子が整う」魔法のアルバムがある。母が1980年代後半に買ってきた、ポール・サイモンの「グレイスランド」というアルバムだ。1986年にポールが南アフリカのミュージシャン達と創り上げたこのアルバムは、色鮮やかで、アフリカの大地と都会のビル群をなぜか同時に思い浮かべさせられる、最高のアルバムだ。

一番始めに「マイ・ベスト・アルバム効果」を感じたのは、確か小学校5年生くらいの時だった。どこかへ遠足に行くという日の朝、前日から憂鬱に感じていた私は、起き抜けにこのCDをかけてみた。何曲目まで聞いたのかは覚えていないが、すでに全曲のメロディと順番を覚えているほど聞き込んでいたので、そのまま集合場所の東中野まで歩く間、ずっと頭の中で再生していたのを覚えている。頭の中でも、ちゃんとアルバム収録の曲順で再生していた。そして、東中野に着く頃には、すっかりモヤモヤは吹き飛ばされ、晴れ晴れとしたアフリカの空のような気持ちになっていた。

病は気からというが、ここ2週間も、気管支炎や併発した不調によって寝込んでいたら、病のせいで気が落ち込んでいくのを感じた。
そんな時はと、プレーヤーの上に置いてある「グレイスランド」に布団の中から手を伸ばし、再生を押した。

「あ〜、これこれ」

一曲も飛ばさず、全曲聞き終わる頃には、呼吸も楽になった気がした。
私の知る限り、自分はアフリカには何の縁もゆかりもないのだが、そしてサイモン・アンド・ガーファンクルはそんなに好きでもないのだが、このアルバムは人生のいつ再生しても、私の中の隠れマサイの血をザワザワと目覚めさせてくれる。元気になる。
これから先も、何度も私の調子を整えてくれるだろう。


それにしても...このコンサート、この場にいたかった!!!



Paul SImon
"Diamonds On The Soles Of Her Shoes"



Paul Simon
"Graceland"