え〜、前回の記事からうっかり年をまたいでしまいましたが、素知らぬふりして綴ってまいります。
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入院して早や一週間、数日で退院できるものだと思っていた私の「重症悪阻(じゅうしょうおそ)」なる症状は、点滴で栄養は摂っているものの一向によくなる様子はなかった。
この頃のルーティン:
・朝6時起床。巡回してくる看護士さんに体温と血圧を測ってもらい、お通じの様子、戻した回数、体調などを伝える。
・清掃員が部屋の掃除をしてくれる。
・8時朝食。(私はまだ絶食だったので、他の患者達のごはんの匂いをうっかり嗅いで気持ち悪くならないように布団に潜っていた)
・9時から11時の間に検査や医師による診察など。
・12時昼食(こちらも絶食中につき、白湯や薄いお茶などを飲めたら飲む)
・13時から15時の間に入れる場合は入浴。
・15時から18時、検温、エコー検査、血圧測定、体調の報告など。入浴できなかった場合は熱いおしぼりで身体を拭く)
・18時夕食。(絶食中は憂鬱な時間)
・19時〜20時、夫によるお見舞い。
・21時、就寝。(全く眠くない)
この間に点滴を日に8回ほどおかわりするのだが、勘の良い看護士さんに当たった場合は、なくなる少し前に覗きに来て次の点滴袋をセットしてくれた。そうでない看護士さんに当たった場合は、自分でブザーを押して(か細い声で)「あの、、点滴なくなりそうなんですが、、、」と伝えるのだが、それもうっかり忘れて袋が空になってから次の点滴を入れる場合は、結構痛いので嫌だった。今にしてみれば小さな小さな悩みだが、この頃はとにかく心身ともに弱っていたので、小さなことが堪えた。それでも点滴の袋に書かれた「ビーフリード輸液」という文字を見て、「これ、牛肉と関係あったりして、、、」なんてくだらない事を考える余裕はあった。
そんなこんなで食欲は全くなかったこの頃だったが、夏だったこともあって、常に何かを飲みたい、いやガブ飲みしたいという欲はあった。だが実際に口にすると、氷一粒の水分ですらケロッと戻してしまう。それを繰り返しているとだんだん「吐くのが怖い」と思うようになって、氷を口に含んで溶かしても、その水分をも飲み込まずに吐き捨てるようになってしまった。でも、飲みたい。悩んだ末、入院中大変お世話になった「スマホ」でYouTubeを起動した。自分は何も飲めないから、せめて他人が何かをぐびぐび飲んでいるところが見たい!!(ただし、アルコールはダメ)
今思えば笑ってしまうが、この時は本気でそう願っていた。
検索欄に「飲み物、CM」と打ち込むと、炭酸飲料やお茶など歴代のCMがズラ〜っと出てくる。片っ端から見まくった中で、一番私の心の喉を潤してくれたのは、1992年のサントリー「南アルプスの天然水」のCMだった。遠山景織子扮する美少女が、アルプスを背景にコップ一杯の水をゴクゴク飲むCMの爽やかなこと!。1990年の加勢大周のコカコーラのCMも「死ぬほど喉が渇いている砂漠の真ん中で爽やかな人がゴクゴク飲む」という設定は良かったものの、想像の中でも炭酸飲料はその時の私には刺激が強すぎたので、結局一番シンプルな「水」に軍配が上がった。
そんな風に、苦しみの中でもなんとか小さな癒しや楽しみを見つけられるようになったある日、看護士さんに「◯◯さん(私の苗字)、今日からお部屋移動してもらってもいいですか?」と言われた。特に問題はなかったので「いいですよ」というと、4人部屋とはいえ、誰もいない部屋に移された。「明日からまた3人入ってくるけど、今日は1人ですよ、ゆっくりできるね」と言われ、テンションが上がった。
まず、それまではイヤホンでコソコソと聞いていた音楽をスピーカーにして(とはいえ小心者なので音量小で)流した。この頃はとにかく優しい音しか受け入れられなかったので、オカリナ奏者の宗次郎や、エンヤなどを主に聞いていた。いわゆる癒し系の音楽である。人にはもちろん、あらゆるもの〜音や空気〜にも優しさを求めていたのだと思う。(空気にはしょっちゅう裏切られ、「匂い」という暴力を受けていたが、、)
それから、気持ち悪くなったら心置き無く吐けるというのも、誰にも気を遣わないで良い分、ストレスが減った。変な話だが、同じ入院患者でも私のようにツワリで入院している人はほとんどいなかったので、同室で「おえ〜」とするのも申し訳ないと思っていたのだった。(トイレにももちろん行ったけれど、それでも間に合わないほど吐き気の波が押し寄せていた)
個室の方が良いことはわかっていたけれど、いつまで長引くかわからない入院で、相部屋の何倍もする個室料金を払うのは気が引けたので、この棚ぼた的な状況は1日とはいえかなり嬉しかった。この日はいつもより良く眠れた。
翌朝、カーテン越しにバタバタと足音がして、看護士さんが数人の患者を引き連れて入って来た。看護士さんとやり取りをする声を聞いて、「ん?ちょっと待てよ?」と思った。声の感じと会話の内容が、どう若く見積もっても「おばあちゃん」であり、私のいたフロアは産科病棟だったので、「おや?」と思ったのだった。だが、看護士さんの説明ですぐに謎が解けた。新しいルームメイト達は確かにおばあちゃん達だったのだが、お三方とも目の手術で入院し、眼科専用の入院部屋はないので、空いている産科のベッドに案内されたのだった。
ツワリの妊婦と老女3人。なんだかシュールな組み合わせ。だけど、ちょっと面白い。響き的に「がんこ爺さん孫3人」ぽいし。いや、全然違うか。
普段の私だったら、迷わずカーテンを開けて会話を楽しむところだが、いかんせん常に気持ちが悪い。なので、心の中で相槌を打ちつつ、おばあちゃん達の会話をカーテン越しに聞いて楽しむことにした。途中でおじいちゃん達がお見舞いに来た時は、みんなことごとく話が噛み合ってないのも実に味わい深かった。
廊下を出たところに新生児室があったのだが、用を足すついでに立ち寄ったらしいおばあちゃんの1人が「かわいいねぇ〜、なんか、涙が出ちゃった」と言うのを聞いて、私まで優しくされた気分になり、涙ぐんだ。
夜になり、あっという間に就寝時間になった。それまでの相部屋では、消灯の9時になってもすぐに眠れる人などおらず、みんなナンダカンダ深夜まで起きていた。ところがおばあちゃんズは消灯後すぐに、いや消灯前からグーグー眠りに就いていた。さすがおばあちゃんズ。
「ふう、、これからまた長い夜が始まるな、、どうやって暇を潰そうか」と考え始めたその時、し〜んとした部屋に「ぷうう」という音が響き渡った。「え?ちょっと、パードゥン?」と思う間もなく、違う方向から「ぶ、ぶ、ぶ」という重低音、そしてしばらくしてまた別の方角から「んスゥ〜、、ぶ!」というお茶目な音。私は暗闇の中、「ねえ、うそでしょ?ねえ!」と笑いを噛み殺した。何かの縁で同室になった淑女3人による、真夜中の三重奏のプレゼント。そして奇跡的なタイミングで見事なハーモニーを奏でていることを、彼女達自身は知らない。知るのは私だけ。ジョン・ケージもびっくりの前衛的音楽。
結局その夜は「そろそろ演奏終わったかな?寝ようかな?」というタイミングでまた微かにベース音が鳴り響いたりするものだから、可笑しくて可笑しくて、気持ちが悪いのも忘れて、1時頃まで寝られなかった。でも、後にも先にもこんな愉快な寝不足、いや、寝屁足はなかった。
〜つづく〜
メトロポリスの片隅で
2018年2月13日火曜日
2017年12月22日金曜日
入院回顧録〜三角折りに祈りを込めて〜
入院してすぐに下された診断結果は「重症妊娠悪阻(じゅうしょうにんしんおそ)」というものだった。名前からして既にオソろしい病名だが、症状も実にオソろしく、食べ物はもちろんのこと、水すら一滴も口にできない状況だった。重度の脱水・飢餓症状を起こしているのですぐに点滴を打たれたのだが、その後2週間ほどは口からは氷すら受け付けななかった為、100%点滴からの栄養で生きつないでいる状態だった。
病室は4人の相部屋だったのだが、看護婦さんとのやりとりを聞いていると、他の患者は切迫流産で入院している人が多く、つわりで入院している妊婦はどうやら私ひとりのようだった。後で調べてみた所、重症妊娠悪阻になる確率は妊婦全体の1~5%、その内入院が必要なほどのケースは1~2%程度とのことで、そりゃあ私以外見当たらない訳だわ、、、と納得した。(ちなみに普通のつわりでは保険は適用外だが、重症悪阻では病気扱いになり、保険も適用されるというのもこの時知った)
そんなレアで貴重な経験、なんて思えるようになるのはずっと後のことで、この頃は本当に、本当〜〜〜〜〜に辛かった。いや、辛いというより「しんどい」のようが言葉の響きとしてしっくりくる辛さ。ベッドはリモコンで角度が変えられるようになっていたのだが、それを押すことすらしんどくて、トイレに行くのもままならない程だった。
24時間点滴をし続けている為、Nature's callこと尿意は数時間起きにやってくるのだが、「トイレに行く」というのがここまで大仕事に感じたことはない。意を決して起き上がり、点滴をぶら下げている器具ごとガラガラと引きずってトイレへ向かう。この時、ノックして先客がいた時のダメージは大きい。(死にそうな表情のまま、一度引き返すことになる)
やっとこさ用を足し、トイレットペーパーを引っ張り出す、、、アレ?引っ張り出せない。ようやくつまめた紙の先端を引っ張ると、ビリビリッといや〜な感じに線状に破けてしまう。ダメージ甚大。おそらく、セレブが行くような高級な病院でない限り、病院で使われているトイレットペーパーというのは大概このように薄くて質の悪いものばかりなんだろうな、、と思いながら血眼で紙を引っ掻き回していた。
この経験を元に、この頃編み出したのが「トイレットペーパーの三角折り」だ。昔からハイソなお店や、お客さんが来る前の家のトイレでみかけられるアレである。
トイレは1フロアに3つあり、その中でも自分の病室に近い2つを使っていたのだが、もし次の回までに誰も入らなければ、もちろん私が入ることになる。その時、地獄の苦しみの中でせめてトイレットペーパーをスムースに引っ張り出すことができたなら、嗚呼できたなら、、そんな淡い想いを込めて、用が済んでから(一応手を洗ってから)せっせと紙を三角に折っていた。毎回、みんなもこの便利さに気付いてやってくれるといいな、、と思いながら折っていたが、儚い想いは届かず、毎回トイレに入るたびにビリビリに破けた紙とハムスターのように格闘していた。それでも、この祈りにも似た「トイレットペーパーの三角折り」は結局退院まで続けた。一度だけ、三角形に折られていて「ああ、やっと誰かが私の想いに応えてくれた、、」と感動したことがあるが、あの丁寧なようで雑な折り方を思い出すと、私が折ったものだったのかもしれない。
そんな、トイレに行くにも一大事の患者達はシャワーを浴びるのも命がけなので、毎日2回、ホットタオルが配られた。これで体をフキフキするのだが、それすらしんどいほど体力がない。なので、ほぼ毎回看護婦さんに背中をふいてもらっていた。おかげでなんとか清潔は保てていたものの、頭は洗えない。不思議とそんなに不快感はなかったので平気に感じていたのだが、ある日鏡をちゃんと見ると、やたら髪に「束感」が出ていることに気がついた。無造作ヘアーを目指す人がこってりしたワックスを使って作る「束感」が自然に作られているのである。この時、お風呂に入らなくても生きてはいけるんだということ、そしてなんとなく「レゲエ」が聴きたい気分になることを知った。(それは多分、自分の頭の質感にボブ・マーリーを重ねたからに相違ない)
〜次回、「悪阻デスロード、真夜中の三重奏」〜、お楽しみに!
病室は4人の相部屋だったのだが、看護婦さんとのやりとりを聞いていると、他の患者は切迫流産で入院している人が多く、つわりで入院している妊婦はどうやら私ひとりのようだった。後で調べてみた所、重症妊娠悪阻になる確率は妊婦全体の1~5%、その内入院が必要なほどのケースは1~2%程度とのことで、そりゃあ私以外見当たらない訳だわ、、、と納得した。(ちなみに普通のつわりでは保険は適用外だが、重症悪阻では病気扱いになり、保険も適用されるというのもこの時知った)
そんなレアで貴重な経験、なんて思えるようになるのはずっと後のことで、この頃は本当に、本当〜〜〜〜〜に辛かった。いや、辛いというより「しんどい」のようが言葉の響きとしてしっくりくる辛さ。ベッドはリモコンで角度が変えられるようになっていたのだが、それを押すことすらしんどくて、トイレに行くのもままならない程だった。
24時間点滴をし続けている為、Nature's callこと尿意は数時間起きにやってくるのだが、「トイレに行く」というのがここまで大仕事に感じたことはない。意を決して起き上がり、点滴をぶら下げている器具ごとガラガラと引きずってトイレへ向かう。この時、ノックして先客がいた時のダメージは大きい。(死にそうな表情のまま、一度引き返すことになる)
やっとこさ用を足し、トイレットペーパーを引っ張り出す、、、アレ?引っ張り出せない。ようやくつまめた紙の先端を引っ張ると、ビリビリッといや〜な感じに線状に破けてしまう。ダメージ甚大。おそらく、セレブが行くような高級な病院でない限り、病院で使われているトイレットペーパーというのは大概このように薄くて質の悪いものばかりなんだろうな、、と思いながら血眼で紙を引っ掻き回していた。
この経験を元に、この頃編み出したのが「トイレットペーパーの三角折り」だ。昔からハイソなお店や、お客さんが来る前の家のトイレでみかけられるアレである。
トイレは1フロアに3つあり、その中でも自分の病室に近い2つを使っていたのだが、もし次の回までに誰も入らなければ、もちろん私が入ることになる。その時、地獄の苦しみの中でせめてトイレットペーパーをスムースに引っ張り出すことができたなら、嗚呼できたなら、、そんな淡い想いを込めて、用が済んでから(一応手を洗ってから)せっせと紙を三角に折っていた。毎回、みんなもこの便利さに気付いてやってくれるといいな、、と思いながら折っていたが、儚い想いは届かず、毎回トイレに入るたびにビリビリに破けた紙とハムスターのように格闘していた。それでも、この祈りにも似た「トイレットペーパーの三角折り」は結局退院まで続けた。一度だけ、三角形に折られていて「ああ、やっと誰かが私の想いに応えてくれた、、」と感動したことがあるが、あの丁寧なようで雑な折り方を思い出すと、私が折ったものだったのかもしれない。
そんな、トイレに行くにも一大事の患者達はシャワーを浴びるのも命がけなので、毎日2回、ホットタオルが配られた。これで体をフキフキするのだが、それすらしんどいほど体力がない。なので、ほぼ毎回看護婦さんに背中をふいてもらっていた。おかげでなんとか清潔は保てていたものの、頭は洗えない。不思議とそんなに不快感はなかったので平気に感じていたのだが、ある日鏡をちゃんと見ると、やたら髪に「束感」が出ていることに気がついた。無造作ヘアーを目指す人がこってりしたワックスを使って作る「束感」が自然に作られているのである。この時、お風呂に入らなくても生きてはいけるんだということ、そしてなんとなく「レゲエ」が聴きたい気分になることを知った。(それは多分、自分の頭の質感にボブ・マーリーを重ねたからに相違ない)
〜次回、「悪阻デスロード、真夜中の三重奏」〜、お楽しみに!
2017年12月11日月曜日
入院回顧録〜悪阻デスロードのはじまり〜
リオ・オリンピックの開幕と同時に始まり、閉幕と同時に終わると思われたツワリは、「いやいや!まだまだパラリンピックもあるぜぇ〜」とばかりに、ある夜急にぶり返して来た。しかもそれまでの気持ちの悪さとはレベルが違い、ひたすらトイレと布団を這うように往復する状態が続いた。寝そべっても水を飲んでも、何をしても物凄く気持ちが悪く、戻してしまう。夏だから、喉は乾いているのに何を飲んでもすぐに出してしまうので、最後は怖くて水すら飲めなくなってしまった。
真夜中近く、とうとう「もう無理・・・T君、病院に電話して」と夫に頼み、夜間診療をしている近隣の大学病院へタクシーで向かった。この、タクシーを待っている間とタクシーで病院へ向かっている時間は途方もなく長く感じられた。
着いてすぐに自分で検温をし血圧を測ったのだが、それすらパスしたいほど気持ち悪さは限界に達していた。尿検査をし、診察を受けたら脱水症状が起きているので点滴をしますと言われベッドに横になった。朦朧としていたので記憶があまりないのだが、この時はまだ点滴はあくまで水分補給のためであって、気持ち悪さを軽減するものではないということを知らなかった。そして、この病院では入院はできないとのことで、行きと同じ気持ち悪さのまままたタクシーに乗り、帰宅した。
翌日、妊娠発覚時から通っていた近所の小さなクリニックまで出勤前の夫に送ってもらった。いつもは予約をしてもかなり待つのだが、この時は明らかに瀕死の顔をしてベンチにへたばっている私を見て「そこの方、こちらへどうぞ!」と簡易ベッドのある部屋に通してくれた。顔色からして脱水症状とわかったらしく、すぐに点滴処置を施された。「うちは見ての通り小さいし、入院はできないけど、これはちょっと重症みたいだから、良かったらいい病院紹介するわね」と言うので、「はい・・・もうすぐに・・お願い・・します・・・」と息も絶え絶えに頼んだ。
そのまま紹介された病院へタクシーで向かおうと思ったが、そう言えば結婚したのに保険証を切り替えていなかったことを思い出し、死にそうだけど、せっかく近いし、と市政市役所へ向かった。
文字通り受付カウンターにへばりつきながら「あのう〜ちょっと今もの凄く気持ち悪いんですが、今から入院するのに保険証を切り替えたくって・・・うぅ!!」。受付係の人、怖かっただろうなあと今になって思う。。そんなゾンビ状態の私のためにパイプ椅子で簡易ベッドまで作ってくれ、書類処理の間横にならせてもらい、何とか手続きは済んだ。さらには優しい女性職員ふたりがタクシーまで付き添ってくれて、「〇〇病院まで。妊婦さんなので安全運転おねがいします!」とまで言ってくれた。タクシーに揺られながら、涙が出そうになった。(この恩忘れまじと、出産後、ご報告とお礼に行ったらとても喜んでくれた。)
おかげさまで無事病院に到着し、震える手でなんとか受付けを済ませ、病室に入った。渡された薄い花柄/ピンク色のパジャマに着替え、点滴の管を通された。しばらくして少しだけ落ち着いたので、夫と両親にラインを送った。
「〇〇病院に入院しました。最低でも3日は入院することになりそうです。」生まれて初めての入院で、この時は「3日かあ〜、長いなあ」と思っていたのだが、それがまさか2ヶ月半にも及ぶことになるとは、この時は予想だにしていなかった・・・。
〜つづく〜
2017年12月6日水曜日
入院回顧録 〜それはジワジワとはじまった〜
今日も息子のJアラート(授乳アラート)で中断する可能性はありますが、とにかくブログ更新を続けてみます。
妊娠を疑ったのは、去年の7月の半ば。なんだか胸が張るなあ〜と思ってドキドキ検査薬を使ってみたら、見事的中。それからクリニックで正式に診断してもらい、妊娠6週目ということが判った。調べてみると、一般的にツワリが始まるのは5、6週目からということで、いつ襲ってくるのかわからないその未知の症状にビクビクしながら過ごしていた。
その頃ちょうど仕事で大量の納品依頼があり、「どうか納品までは始まらないでください・・・神様ツワリ様」と心の中で拝んでいた。実は身体の不調というか、どう考えても本調子ではないことは感じていたのだが、だましだまし頑張って、なんとか無事納品することができた。それが8月6日。ちょうどリオ・オリンピックが始まった頃だった。
納品を済ませた翌日から、早速じわじわとそれらしき波が押し寄せてきた。
(余談だが、仕事を続けているとツワリが軽い、というのは本当かもしれないと思った。年末に風邪を引くのと一緒で、緊張感がある程度の抑止力になっているというか。。)
クリニックでは「ツワリで病院に来てもらっても特にお薬とかはないから、とにかく休むしかないのよね〜」と言われていたので、ひたすら家でゴロゴロしていた。
そんな時、風邪なんかだと本や雑誌を読んだりしてそれなりに楽しめるのだが、なんだか細かい文字を読む気にならない。かといって、シーンとした部屋で寝そべっていても発狂してしまうので、テレビをつける。オリンピック一色なので、なんとなく見てしまう。安室奈美恵のオリンピックのテーマソングが流れる。「きみ〜だけ〜の〜 ためぇ〜 のヒ〜ロ〜」アムロちゃんに全く非はないが、この曲を聞くと今でも少しオエッとなってしまう。
こうして8月はひたすら低空飛行のローテンションで自宅療養し、オリンピックにやたらと詳しくなっていった。たまにオエッとなるけれど、それ以外はまあまあ普通の生活が送れるレベル。
そして8月も終盤に差し掛かったある日、「おや?これはもしかしてツワリ終わったのかな?」と感じた。そしてちょうど翌日、ニューヨークから一時帰国していた友人達と会うことになっていたので、「ツワリも終わって、友達とも遊べるようになったぜイエイ!」と調子に乗って、川崎の岡本太郎美術館にまで遊びに行った。
この日は終始調子が良く、帰りに夫へのお土産としてミスター・ドーナツを買って帰った。「終わったんだ、私のツワリ、終わったんだ!」と幸せを噛み締めながら床に着いた。
そんな幸せキブンの私をドン底に突き落としたツワリ・エピソードは次回!
乞うご期待!(^0^)
My Son 2017
田中清美さんの名著 "My Son"というタイトルでブログを更新したのを最後に、気がつけば約1年半も経ってしまった。思えばあの記事を書いた数日後、身体の異変を感じて検査、すぐに妊娠確定、それから地獄のつわりの数ヶ月を乗り越え、今年の早春に男の子を出産した。まさか本当のMy sonについて書く日が来るなんて、しかもそれが1年半後だとは前回のブログを書いた時には夢にも思っていなかった。
妊娠してから出産までの時間と、出産してから今日までの時間と、どちらも濃密かつ千本ノックといった感じで、とにかく毎日を「こなす」のに精一杯で気がつけば今日になっていた、という感じである。
あまりにも毎日がビュンビュン過ぎ去っていってしまうので、どうしても忘れない内に書き留めて置きたいことを書いておこうと思い立った。まずは、地獄のつわり体験から・・・。と、振っておいて、息子が泣き出したので、続きは明日書くことにします^^(え〜!?)
おやすみなさい。(その前に、お久しぶりです・・・)
妊娠してから出産までの時間と、出産してから今日までの時間と、どちらも濃密かつ千本ノックといった感じで、とにかく毎日を「こなす」のに精一杯で気がつけば今日になっていた、という感じである。
あまりにも毎日がビュンビュン過ぎ去っていってしまうので、どうしても忘れない内に書き留めて置きたいことを書いておこうと思い立った。まずは、地獄のつわり体験から・・・。と、振っておいて、息子が泣き出したので、続きは明日書くことにします^^(え〜!?)
おやすみなさい。(その前に、お久しぶりです・・・)
2016年7月22日金曜日
My Son
私には子供はまだいない。
ニュージーランドへも行ったこともなければ、犬を飼ったこともない。
タナカキヨミさんの初めてのご著書「My Son」には、私の体験したことのない事が沢山描かれている。
にも関わらず、読み終える頃には眩しくて懐かしくて暖かい気持ちになっている。
(渡辺つぶらさんによる挿画も最高に素敵でした)
この本を書かれたキヨミさんは、30代でご自身の会社を立ち上げて、バリバリ仕事をされた後、42歳で出産、お子さんが2歳半になった時に「この子は海外の方が向いているかもしれない」と感じ、その2年半後にニュージーランドへ移住された。それから再び日本で仕事をする為に帰国するまでの4年半の子育て奮闘記が描かれているのだが、それがとても4年半とは思えないほど、濃密で豊かな日々なのだ。
もちろん、滞在中の事を全て日記のように綴るわけにはいかないのだから、特に思い出深いエピソードが選ばれているのだろうけれど、この本には書かれていない、頁と頁の間の日々まで想像できるような、そんなキラキラとした内容の本だった。
私自身もきっかけは違えど、2歳半になった頃に米国ピッツバーグへ家族で移住し、そこで4年半を過ごしたので、共感する部分もとても多かった。
私のように2歳半〜6歳児でも、アメリカで過ごした記憶が断片的でも色濃く残っているのだから、5歳からの4年半をニュージーランドで過ごしたキヨミさんの"My Son"ゲン君は、きっと当時の環境にさぞかし影響を受けたのだろうなと思う。
ご近所さんが暖かくて優しかった事、裏庭でお誕生日会を開いてもらった事(私の時の出し物はピエロ、ゲン君の時はマジシャン)、合わない先生もいた反面、物凄く気の合う先生もいたこと、数少ない日本人と出会うと、家族ぐるみで仲良くなること。
鴨が家の中を行進(!)したり、蜂の大群を庭で目撃したり、大きな虹を見たり、そんな奇跡のような場面を親子で共有することは、何にも替えがたいことだと感じさせられる。
そしてこうした記憶は子供の方も、どんなに小さくても、その時の光や匂いなんかを覚えていると思う。
この本を読んで、あのキラキラした思い出の裏では、両親が子供のことを考えて新しいことに果敢に挑戦したり、悪戦苦闘したりしてくれていたのだなと改めて感じて、心からありがとうと言いたくなった。(同時に、うちの母にも忘れない内に当時の事をもっと聞いておきたいと思った)
先日、光栄にも「My Son」の出版記念パーティにお招き頂いて、キヨミさんと、元ご主人でコピーライターの渡辺裕一さん、そして5年ぶりくらいに"Their Son" ゲン君にお目にかかった。(出会いのきっかけについては、前ブログのこちらとこちらの記事をご覧ください)
この秋からボルティモアの超名門大学院で現代音楽の作曲を学ぶゲン君は、初めて会った時の少年の顔から、お父さん譲りの嘘や混じりっけのない真っ直ぐな眼差しと、お母さん譲りの強さと優しさをたたえた青年になっていた。ニュージーランド産の美味しい白ワインを頂きながら、錆び付いていた英語を久々にひねり出してお喋りを楽しんだ。
「お母さんの本はもう読んだ?」と聞くと、「いや、読んでないよ」と言っていた。まさに自分についての本だから、照れくさいのだろう。でもいつか読む時が来たら、思い出が溢れ出てくるんだろうなあ、と思った。
本を読み終えてから、改めてパーティでのこの素敵なご一家のことを思い出すと、ああ、こういうお父さんとお母さんに育てられたからこういう風に育ったんだな〜・・・としみじみ感じるとともに、なんだか背筋が伸びた。
「My Son」は、今バリバリ仕事をされている方、いずれお子さんを持つ予定の方、子育て奮闘中の方、子育てが終わってこれからまた働こうと思っている方、海外生活を疑似体験してみたい方、どれにも当てはまらないけれど素敵な親子に出会いたい方に是非読んで頂きたいと心から感じる本でした。
最後に、出版パーティでゲンくんに「ゲンくんのお母さんも大好きなカーリー・サイモンのプロモーション・ビデオで、長いことボルティモアの港じゃないかなあと思ってる映像があるんだけど、知ってる?」と話していた港は、マサチューセッツ州ケープコッドの
Martha's Vineyardという島だったことが判明しました。
私の中で、勝手に素敵なキヨミさんのイメージソングなので、アップします。
Coming Around Again / Itsy Bitsy Spider - Carly Simon
・タナカキヨミ著「My Son」
・キヨミさんが運営をされている、素敵な50代女性の為のウェブマガジン
2016年5月13日金曜日
なんでもない日常〜懐かしい光〜
今朝、風にそよぐ洗濯物を眺めていて、眩しく、懐かしい気持ちになった。
薄いカーテンを揺らす柔らかな風
その先に揺れる洗濯物
(内容物:父のトランクス、母のブラウス、私のハンカチ、使い込まれたタオル等)
その背景で葉を揺らす百日紅などの庭の木
それを見ている私の頬を優しく撫でる風
幼い頃、ピッツバーグの家の裏庭で目にしたモミの木の葉の揺らめきと、
小学校の校庭で目にしたポプラの木の葉の揺らめきと、
20代後半にプロスペクトパークで目にした老木の葉の揺らめきと、
今見ている百日紅の葉の揺らめきは、全然別のものだけど、
「今しかないものを見ている」のは同じなんだなあ、と気がついた。
後にも先にもない「今」という圧倒的な瞬間
それが、「懐かしさ」の原因なのだろうか?
チャイムが鳴った。
頼んでおいた荷造り用のダンボールが届いた。
引越し先の家は、窓を開けると桜並木が続いている。
その桜の葉を揺らす風が、もう眩しい。
眩しい光、木の葉の揺らめきで思い出す曲
Swing Out Sisters "Now You're Not Here"
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