だけど、今でも鮮明に思い出せるそのページは、間違いなく今の私に至るあみだくじの起点だった。
少し遡ると、この19歳の時の1年間のニューヨーク留学に踏み出す前の年、私は大学に入学したものの、女子大の雰囲気に馴染めず(高校は女子校でも馴染めたのですが)、どうにか突破口を見つけようと、夏休みに興味のあることに片っ端か手を出してみていた。
まずは絵を描くこと。これは、今でも好きなのだが、本物の画家のように「描かずにいられない」という衝動がないことに気がつき、「んー、趣味でいっか」となった。(諦め早い)
次に、歌を歌うこと。この頃、通っていた大学と交流のあるK大の合同音楽サークルに入っていて、今思うとゾッとするのだが、楽器が弾けないという理由だけでガールズバンドのボーカルを担当していた。
ある日、K大の講堂でライブをやることになり、知り合いは誰一人呼ばずに当日を迎えた。
曲目は、当時好きだったバングルスの"Eternal Frame"と、ジュデイ・アンド・マリーの"Power of Love"の2曲だった。前者はバラードでゆっくりなのでなんとか歌えたのだが、後者は自分で選んだくせに、テンポの速さと高音と緊張とでズタボロだった。みじめだった。これを機に、歌はカラオケでいいやと決めた。
最後に、映像を撮ること。
これは、90年代後半当時ハマっていたMTVの影響が大きく、Daft PunkやBjorkなどのミュージックビデオを見ては「なんてクールなんだろう。私も撮ってみたい!」と鼻息を荒くしていた。そこで、当時通っていた英会話のグループレッスンで出会った女性が、ちょうど映像科に通っていて、高いビデオカメラを持っているというので、私が脚本兼監督、彼女が映像を撮るという条件付きで(勢いのみで)決行した。正直、ストーリーは一切覚えてないが、見た目の良い友人に頼んで、恵比寿の高架下で意味なく何回もダッシュをしてもらったことだけは覚えている。確か、Apollo440というミュージシャンの曲に合わせて。今思うととてつもなく青臭くて恥ずかしい内容だったと思うのだが、当時から重度のポジティブ思考だった私は、なぜか「これだナ」と感じてしまったのだ。しかも、この時の映像は、カメラを持っていた女性と喧嘩別れをしたことで、一度も見ることなく終わったにも関わらず。(出来れば、このまま一生見ることなく終えたい。)
それでも、絵や音楽よりかは向いている気がして、そのまま物凄い勢いで両親を説得し、ニューヨークへ飛び立ったのだった。
このような感じで、1997年の夏休みは「自分探し」ならぬ「自分の進路探し」に明け暮れていたのだが、翌年の春にニューヨーク郊外の田舎町の寝室で、進路がほぼ決定されようとは予測していなかった。
ロビンの実家からマンハッタンに戻ってすぐに、ユニオン・スクエアの"Barnes & Nobles"(大きな書店)で、初めの晩に目にした"Wallpaper" 誌の同じ号を購入し、その足で図書館へ行き、ニューヨークと東京のプロダクトデザインが学べる学校を探しあげた。
その後、ニューヨークではアートやデザインに関連する授業を聴講したり、街の空気を吸収することに勤しんだ。
帰国してからは、その時図書館で調べたデザイン学校のプロダクトデザイン科を受けて、入学・卒業し、デザイナーとして就職した。その後またひょんなことから、今度は活版印刷を理由に渡米して5年の滞在を経て帰国し、今に至るのだが、目を細く絞って振り返ってみると、多少ジグザグはしているものの、あの日雑誌をめくったときに「私はここがいい」と決めた領域には居るように思える。
微弱な電波にピピッと過剰に反応する思い込みと、小さな旅が重なって、今の私がいる。
この狂ったアンテナは、ちょっと大事にしたいと思う。
98年の6月頃、ミッドタウンのアパートの前でお別れの抱擁をするロビンと私
98年の夏頃流行っていたこの曲を聞くと、当時の記憶が蘇る
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