どこの家庭にも、もしくは友人や恋人でも、そのつながりの中でしか通じない言葉があると思います。略語であったり、「あれ」とか「それ」とか「あの木」とか。
例に漏れず、ウチにも存在します。
そしてそのほとんどは、父によって創造された言葉、つまり造語です。
「創造された言葉」と書くと、とても高尚なもののようですが、実際はとてもベチャッとしたもののオンパレードです。
まずは、説明なしで並べてみたいと思います。
ブンチャ
ぱーい
さーん
ガーヨちゃん
ねんコロッケ
チボン
豚まん
タタコン
ピンピョン
リンリン
キョトトンちゃん
これらは全て、W家(ウチです)では日常的に使われ、W家の者(呆けてしまったおばあちゃんを除く四名)であれば誰もがツーカーで通じるものです。
ひとつでも、意味がお解りになるものがあるでしょうか?
...ないです、よね?
では、説明します。
まずは「ブンチャ」。
これは、新聞の事です。
「ブンチャとって」「ブンチャどこ置いた?」といったように使われます。
昔は新聞記者の事を「ブンヤ」と呼んだらしいので、お解りになった方もいらっしゃるかも知れません。
ちなみに「チャ」が何なのかは解りません。
次に「ぱーい」と「さーん」、
これは「(ごはんを)もう一杯おかわり」と「ごちそうさま(ごちそうさん)」を意味します。
そして「ガーヨちゃん」と「ね(寝)んコロッケ」、
少し高度になりますが「おはよう」と「おやすみなさい」と同義語です。
飲んで帰って余りに眠い時は、「コロッケ...」と消え入るような声で言いのこし、寝室へ消えていくのがお約束です。
「チボン」
こちらは解らなくて当たり前、というよりも解ったらW家の隠しメンバー(隠し子!?)を疑います。
亡くなった祖父のニックネームで、「チビでボンボン」が由来だそうです。
(酷い)
「豚まん」
これはもっと酷くて、呆けてしまったおばあちゃん(父の母)を影で(あるいはオモテで?)こう呼んでいたそうです。おばあちゃんの名誉の為に、説明は省きます。(...素直に想像すれば当たります)
「タタコン」「ピンピョン」
・・・私の小さい頃の呼称で、作詞・作曲 by 父 の歌まで存在します。
今でもごくたまに、「ピンピョン」と呼ばれることがあります。
由来は、、、おそらく私のオノマトペのイメージなのだと思われます。
「リンリン」「キョトトンちゃん」
・・・これらは姉の小さい頃のあだ名です。
こちらも、姉をイメージしたネーミングのようです。
いかがでしょうか?
これらはごく一部で、他にもあるのですが、思い出そうとすると思い出せません。
でも、英単語と一緒で、まずは基本から。
「頻出単語・基本の100」のようなものです。
まずは音読をして、書き取りを最低10回ずつ、それから日常で使ってみることが大事です。いつのまにか目をこすりながら「コロッケ...」とつい言ってしまったら、こっちのものです。
あ!!言い忘れましたが、この造語はW家以外では通じません。
よって、覚えたところで役には立ちません。
でも、私は忘れないように使っていきたいと思います。
あ、もう夜中の2時だ。
ねんコロッケします。
2016年1月28日木曜日
2015年12月13日日曜日
してきな週末 in 鎌倉
ちょうど一週間前の日曜日、ウチダゴウさんという方の詩の朗読会に参加しました。
小さな偶然が重なってのことでした。(全てがそうかもしれないけれど)
はじめにウチダさんのことを知ったのは、数ヶ月前に、活版印刷関連の画像検索をしていて、とあるカードの画像を「お!?」と気になってリンク先を辿ったのがきっかけでした。
「してきなしごと」と名付けられたホームページの中の、「花の銅版画」と名付けられたその繊細な詩のカードは、詩が銅版画のような奥行きを持つと感じられたことから命名され、その気配を表現するために活版印刷で刷られている、というものでした。「えっと、まず、詩が銅版画っぽい、それから銅版画っぽさを出すための活版印刷」という、左脳で考えようとすると一瞬混乱してしまうような思考の過程も、右脳で想像すると、「ふむふむ、ゴクリ、うまい」とお茶を飲むようにすんなりと入ってくるのでした。
気になってAbout欄を読むと、「世界は気分でできています」という言葉にはじまり、「世界の正解より気分に素直」で締めくくられるそのページと、「詩人/グラフィックデザイナー」という肩書きを見て、「ぬぬぬ!」と思いました。(どんなだ)
その他のお仕事欄を見ると、手がけられたロゴデザインの数々もどこか詩的かつ簡潔で、すぐに自分のパソコン上の「気になるものや人フォルダ」へクリップしたのでした。
それから数ヶ月経ったある日、フェイスブックで、この春(私がバクテリアの活版ポストカードを蠢かせた)活版展でお世話になった、鎌倉のbooks mobloの店主の 荘田さんから、とある詩の朗読会の招待状を受け取りました。
小さな偶然が重なってのことでした。(全てがそうかもしれないけれど)
はじめにウチダさんのことを知ったのは、数ヶ月前に、活版印刷関連の画像検索をしていて、とあるカードの画像を「お!?」と気になってリンク先を辿ったのがきっかけでした。
「してきなしごと」と名付けられたホームページの中の、「花の銅版画」と名付けられたその繊細な詩のカードは、詩が銅版画のような奥行きを持つと感じられたことから命名され、その気配を表現するために活版印刷で刷られている、というものでした。「えっと、まず、詩が銅版画っぽい、それから銅版画っぽさを出すための活版印刷」という、左脳で考えようとすると一瞬混乱してしまうような思考の過程も、右脳で想像すると、「ふむふむ、ゴクリ、うまい」とお茶を飲むようにすんなりと入ってくるのでした。
気になってAbout欄を読むと、「世界は気分でできています」という言葉にはじまり、「世界の正解より気分に素直」で締めくくられるそのページと、「詩人/グラフィックデザイナー」という肩書きを見て、「ぬぬぬ!」と思いました。(どんなだ)
その他のお仕事欄を見ると、手がけられたロゴデザインの数々もどこか詩的かつ簡潔で、すぐに自分のパソコン上の「気になるものや人フォルダ」へクリップしたのでした。
それから数ヶ月経ったある日、フェイスブックで、この春(私がバクテリアの活版ポストカードを蠢かせた)活版展でお世話になった、鎌倉のbooks mobloの店主の 荘田さんから、とある詩の朗読会の招待状を受け取りました。
「ウチダゴウ朗読会 ながいたび」という題名を見て、「あの、気になる人フォルダの!」と、慌てて参加ボタンを押しました。
そして先週、彼氏を誘って、春以来となる鎌倉を訪れました。
休日の鎌倉は、特に小町通りはまるで竹下通りのように賑わっていたので、裏道を歩くことにしました。(もともとそっち派だけど)
コーヒーを飲んで、歩いて、またコーヒーを飲んで、ラーメンをズズっと食べたらあっという間に日が暮れたので、朗読会の会場であるbooks mobloへ急ぎました。
考えてみれば、前々から詩は大好きなのに、朗読会というものに参加するのは初めてでした。
店頭で頂いた異様に美味しいホット・レモネードを啜りながら、朗読が始まるのを待っていると、少し緊張してきて、それで「そういえば、こういうの初めてなんだ」と気がつきました。
絵でも演劇でも踊りでも音楽でも、何かを鑑賞する時は「我を忘れる」のが一番で、緊張なんてするのは「それを観ている自分、聞いている自分」が他人からどう見られているか意識してしまっていて、ちゃんと味わえていない状態だよな〜と思いつつ、わかっていても、すぐには真っ白になれないのでした・・・。
ウチダさんの朗読が始まってしばらくは、自分が唾を飲み込む回数や音が気になり始めたり、ソワソワしていたのですが、いつの間にか、ウチダさんの出会った旅先での情景が、朗読とともに浮かび上がってくるようになりました。詩の朗読もさることながら、一編読み終える毎に 話されるエピソードがこれまた面白く、詩の背景を思い浮かべる手助けをしてくれて、ああ、これが朗読会の醍醐味なんだな、と感じました。
途中、ウチダさんが持ってこられたウィスキーの話になり、飲んべえ客は少し頂くことになりました。名前は忘れてしまいましたが、ほんのり花のような香りのするスコッチ・ウィスキーをチビチビ傾けながら、さらに(我を忘れて)詩の先にある世界へ飛んで行きました。
朗読会の後に少しお話しした際に、ウチダさんが「写真の代わりに詩で伝える旅行ガイドがあれば面白いと思うんです」というようなことを仰っていて、ああ、それは確かに可能なことなんだと思いました。むしろ、モン・サン・ミッシェルの素晴らしい写真を見て期待を膨らませて訪れたら、(お城を渦巻く土産物屋が)まるで熱海の土産物屋じゃないかあ!と憤慨した私も、写真でなく言葉のみ、それも詩でまだ見ぬ地への思いを馳せていたら、違う感動が見つけられたかもしれないのです。そして、朗読会が終わって一週間経った今も、まだ行ったことのない「私の想像する」エディンバラの風景がくっきりと浮かぶということは、すでにそれが成功しているということでしょう。
朗読会後に購入した「空き地の勝手」という詩集を読みながら、詩に登場するウェイターや痴呆老人、ヒーローや総理大臣になった気にもなれる為、詩のみで構成された職業案内もアリなのでは、と勝手に想像しています。
とても してきな 週末でした。
ウチダゴウさんのホームページ:
2015年11月28日土曜日
小さな旅 〜Upstate New York 編〜(後編)
軽い気分転換のつもりで出かけた旅先で目にした雑誌の1ページで、まさか進路が本当に変わるとは、この時は思っていなかった気がする。
だけど、今でも鮮明に思い出せるそのページは、間違いなく今の私に至るあみだくじの起点だった。
少し遡ると、この19歳の時の1年間のニューヨーク留学に踏み出す前の年、私は大学に入学したものの、女子大の雰囲気に馴染めず(高校は女子校でも馴染めたのですが)、どうにか突破口を見つけようと、夏休みに興味のあることに片っ端か手を出してみていた。
まずは絵を描くこと。これは、今でも好きなのだが、本物の画家のように「描かずにいられない」という衝動がないことに気がつき、「んー、趣味でいっか」となった。(諦め早い)
次に、歌を歌うこと。この頃、通っていた大学と交流のあるK大の合同音楽サークルに入っていて、今思うとゾッとするのだが、楽器が弾けないという理由だけでガールズバンドのボーカルを担当していた。
ある日、K大の講堂でライブをやることになり、知り合いは誰一人呼ばずに当日を迎えた。
曲目は、当時好きだったバングルスの"Eternal Frame"と、ジュデイ・アンド・マリーの"Power of Love"の2曲だった。前者はバラードでゆっくりなのでなんとか歌えたのだが、後者は自分で選んだくせに、テンポの速さと高音と緊張とでズタボロだった。みじめだった。これを機に、歌はカラオケでいいやと決めた。
最後に、映像を撮ること。
これは、90年代後半当時ハマっていたMTVの影響が大きく、Daft PunkやBjorkなどのミュージックビデオを見ては「なんてクールなんだろう。私も撮ってみたい!」と鼻息を荒くしていた。そこで、当時通っていた英会話のグループレッスンで出会った女性が、ちょうど映像科に通っていて、高いビデオカメラを持っているというので、私が脚本兼監督、彼女が映像を撮るという条件付きで(勢いのみで)決行した。正直、ストーリーは一切覚えてないが、見た目の良い友人に頼んで、恵比寿の高架下で意味なく何回もダッシュをしてもらったことだけは覚えている。確か、Apollo440というミュージシャンの曲に合わせて。今思うととてつもなく青臭くて恥ずかしい内容だったと思うのだが、当時から重度のポジティブ思考だった私は、なぜか「これだナ」と感じてしまったのだ。しかも、この時の映像は、カメラを持っていた女性と喧嘩別れをしたことで、一度も見ることなく終わったにも関わらず。(出来れば、このまま一生見ることなく終えたい。)
それでも、絵や音楽よりかは向いている気がして、そのまま物凄い勢いで両親を説得し、ニューヨークへ飛び立ったのだった。
このような感じで、1997年の夏休みは「自分探し」ならぬ「自分の進路探し」に明け暮れていたのだが、翌年の春にニューヨーク郊外の田舎町の寝室で、進路がほぼ決定されようとは予測していなかった。
ロビンの実家からマンハッタンに戻ってすぐに、ユニオン・スクエアの"Barnes & Nobles"(大きな書店)で、初めの晩に目にした"Wallpaper" 誌の同じ号を購入し、その足で図書館へ行き、ニューヨークと東京のプロダクトデザインが学べる学校を探しあげた。
その後、ニューヨークではアートやデザインに関連する授業を聴講したり、街の空気を吸収することに勤しんだ。
帰国してからは、その時図書館で調べたデザイン学校のプロダクトデザイン科を受けて、入学・卒業し、デザイナーとして就職した。その後またひょんなことから、今度は活版印刷を理由に渡米して5年の滞在を経て帰国し、今に至るのだが、目を細く絞って振り返ってみると、多少ジグザグはしているものの、あの日雑誌をめくったときに「私はここがいい」と決めた領域には居るように思える。
微弱な電波にピピッと過剰に反応する思い込みと、小さな旅が重なって、今の私がいる。
この狂ったアンテナは、ちょっと大事にしたいと思う。
だけど、今でも鮮明に思い出せるそのページは、間違いなく今の私に至るあみだくじの起点だった。
少し遡ると、この19歳の時の1年間のニューヨーク留学に踏み出す前の年、私は大学に入学したものの、女子大の雰囲気に馴染めず(高校は女子校でも馴染めたのですが)、どうにか突破口を見つけようと、夏休みに興味のあることに片っ端か手を出してみていた。
まずは絵を描くこと。これは、今でも好きなのだが、本物の画家のように「描かずにいられない」という衝動がないことに気がつき、「んー、趣味でいっか」となった。(諦め早い)
次に、歌を歌うこと。この頃、通っていた大学と交流のあるK大の合同音楽サークルに入っていて、今思うとゾッとするのだが、楽器が弾けないという理由だけでガールズバンドのボーカルを担当していた。
ある日、K大の講堂でライブをやることになり、知り合いは誰一人呼ばずに当日を迎えた。
曲目は、当時好きだったバングルスの"Eternal Frame"と、ジュデイ・アンド・マリーの"Power of Love"の2曲だった。前者はバラードでゆっくりなのでなんとか歌えたのだが、後者は自分で選んだくせに、テンポの速さと高音と緊張とでズタボロだった。みじめだった。これを機に、歌はカラオケでいいやと決めた。
最後に、映像を撮ること。
これは、90年代後半当時ハマっていたMTVの影響が大きく、Daft PunkやBjorkなどのミュージックビデオを見ては「なんてクールなんだろう。私も撮ってみたい!」と鼻息を荒くしていた。そこで、当時通っていた英会話のグループレッスンで出会った女性が、ちょうど映像科に通っていて、高いビデオカメラを持っているというので、私が脚本兼監督、彼女が映像を撮るという条件付きで(勢いのみで)決行した。正直、ストーリーは一切覚えてないが、見た目の良い友人に頼んで、恵比寿の高架下で意味なく何回もダッシュをしてもらったことだけは覚えている。確か、Apollo440というミュージシャンの曲に合わせて。今思うととてつもなく青臭くて恥ずかしい内容だったと思うのだが、当時から重度のポジティブ思考だった私は、なぜか「これだナ」と感じてしまったのだ。しかも、この時の映像は、カメラを持っていた女性と喧嘩別れをしたことで、一度も見ることなく終わったにも関わらず。(出来れば、このまま一生見ることなく終えたい。)
それでも、絵や音楽よりかは向いている気がして、そのまま物凄い勢いで両親を説得し、ニューヨークへ飛び立ったのだった。
このような感じで、1997年の夏休みは「自分探し」ならぬ「自分の進路探し」に明け暮れていたのだが、翌年の春にニューヨーク郊外の田舎町の寝室で、進路がほぼ決定されようとは予測していなかった。
ロビンの実家からマンハッタンに戻ってすぐに、ユニオン・スクエアの"Barnes & Nobles"(大きな書店)で、初めの晩に目にした"Wallpaper" 誌の同じ号を購入し、その足で図書館へ行き、ニューヨークと東京のプロダクトデザインが学べる学校を探しあげた。
その後、ニューヨークではアートやデザインに関連する授業を聴講したり、街の空気を吸収することに勤しんだ。
帰国してからは、その時図書館で調べたデザイン学校のプロダクトデザイン科を受けて、入学・卒業し、デザイナーとして就職した。その後またひょんなことから、今度は活版印刷を理由に渡米して5年の滞在を経て帰国し、今に至るのだが、目を細く絞って振り返ってみると、多少ジグザグはしているものの、あの日雑誌をめくったときに「私はここがいい」と決めた領域には居るように思える。
微弱な電波にピピッと過剰に反応する思い込みと、小さな旅が重なって、今の私がいる。
この狂ったアンテナは、ちょっと大事にしたいと思う。
98年の6月頃、ミッドタウンのアパートの前でお別れの抱擁をするロビンと私
98年の夏頃流行っていたこの曲を聞くと、当時の記憶が蘇る
2015年11月18日水曜日
小さな旅 〜Upstate New York 編〜(中編)
ロビンの実家は、マンハッタンとはまるで違い、緑の深い場所にある、アメリカらしい一軒家だった。明るく誠実そうなお父さんとお母さんに出迎えられ、ゲストルームへ案内された。
"Make yourself at home"「(自分の家みたいに)遠慮なく寛いでね」
と言われた通り、伸び伸びさせてもらうことにした。
ゲストルームで荷物をほどき、ベッドサイドを見ると、"Wallpaper"という雑誌が置いてあった。初めて目にする雑誌だったが、ロビンの専攻であるインテリアの雑誌だと察しはついた。
夕ご飯まで時間もあるし、と寝そべってパラパラと捲り始めると、あるページで手が止まった。それは、シンプルな作りの花瓶やコップなどの写真と、それを作ったと思われる学生たちと先生が、教室のような所でカジュアルに立ち話をしている写真が載っているページだった。なぜか無性にその見開き2ページの世界観に惹かれた私は、夕食時にロビンに「ねえ、この人たちは何をしているの?こういうデザインはなんていうジャンルのものなの?」と興奮気味に尋ねた。
"It's called product or industrial design, and they are students."「これはプロダクトデザインとかインダストリアルデザインと呼ばれるもので、彼らは学生だよ」とのことだった。
この頃、ロビンからいわゆる「活きた英語」を沢山教わった。
その中でも、始めは聞き取れずにいたのに、帰国時には連発するまでになったのが、
"Awesome!"(アーサム)という言葉だ。意味は、"Cool"(クール)と同じようなもので、もっと今ドキ風の言葉とのことだった。
"Make yourself at home"「(自分の家みたいに)遠慮なく寛いでね」
と言われた通り、伸び伸びさせてもらうことにした。
ゲストルームで荷物をほどき、ベッドサイドを見ると、"Wallpaper"という雑誌が置いてあった。初めて目にする雑誌だったが、ロビンの専攻であるインテリアの雑誌だと察しはついた。
夕ご飯まで時間もあるし、と寝そべってパラパラと捲り始めると、あるページで手が止まった。それは、シンプルな作りの花瓶やコップなどの写真と、それを作ったと思われる学生たちと先生が、教室のような所でカジュアルに立ち話をしている写真が載っているページだった。なぜか無性にその見開き2ページの世界観に惹かれた私は、夕食時にロビンに「ねえ、この人たちは何をしているの?こういうデザインはなんていうジャンルのものなの?」と興奮気味に尋ねた。
"It's called product or industrial design, and they are students."「これはプロダクトデザインとかインダストリアルデザインと呼ばれるもので、彼らは学生だよ」とのことだった。
この頃、ロビンからいわゆる「活きた英語」を沢山教わった。
その中でも、始めは聞き取れずにいたのに、帰国時には連発するまでになったのが、
"Awesome!"(アーサム)という言葉だ。意味は、"Cool"(クール)と同じようなもので、もっと今ドキ風の言葉とのことだった。
私は早速覚えたての"Awesome"を使って、そのプロダクトデザインとやらに無性に興味があること、マンハッタンに帰り次第、図書館で(ネットがなかったので)学べる学校を探そうと思うことなどをロビンに伝えた。ノリの良い彼女は、やったねエミコ、やりたい事みつけたね!協力するよ、と言って、ハグをして自分の部屋へ戻っていった。
私は胸が高鳴って眠る気になれなかったので、そのまま居間に残り、テレビを点けた。
MTVで、プリンス特集を流しているところだった。
パープル・レインのPVを見ながら、この人すごいなー、と思った。楽器はなんでも弾けて、声自体もエレキギターみたいで、毛深そうな上に身長も小さいのに、コンプレックスにもせず、むしろ自信満々で。見ていたら、なんだかムクムクと勇気と希望が湧いてきた。
(別に私の身長のせいではナイ)
翌朝は、夜更かしにも関わらず、スッキリと目覚めた。
〜後編へ続く〜
※書いているうちに色々と思い出してしまったので、
前・中・後の長編になってしまいました...。
2015年11月6日金曜日
小さな旅 〜Upstate New York 編〜(前編)
初めてニューヨークで「暮らした」のは、19歳、1998年の事だった。
当時はインターネットはおろか、携帯電話も普及していなかったので、手描きのルームメイト募集の張り紙をあちこちの美術大学の廊下に貼りに忍び込んだりした。
レターサイズの目立つ色の画用紙に、マジックで下記の情報をイラストを交えながらババッと書いた。
・E.26st, Midtown, Manhattan (東26丁目、ミッドタウン、マンハッタン)
・Rent $XXXX/Month, One month deposit (家賃◯◯ドル、敷金ひと月分)
・Seeking for a polite WOMAN (礼儀正しい女性を募集)
・Non-smoker (禁煙者)
・Please contact 212-XXX-XXXX (ご連絡はこちらまで)
このようなことを、街中で見かけた張り紙や、ビレッジボイスなどの募集広告を見て、見よう見まねで書き連ねた。下の部分に電話番号を10列くらい書き、境目にハサミで切り込みを入れて、気になる人がいれば、そこだけもぎ取れるようにした。
(今のようにネットで拡散の心配がなかった頃は、このように個人情報はあけっぴろげだったような気がする)
メールがないため、電話番号を書く他なく、初めはドキドキしたものの、2、3人と対応している内に、電話越しの話し方だけで(自分にとって)アリかナシか何となくわかるようになった。確か4人目くらいにかけてきてくれたロビンという同い年くらいの女性の話し方にピンときたので部屋を見に来てもらい、お互い気に入り、少しの間一緒に住むことになった。
私の方は、ニューヨーク・フィルム・アカデミーという映画学校へ通う為に渡米したものの、あることがきっかけで取りやめにし、渡米ひと月目にして先行きが白い煙に覆われていた。
ある日、そんな私を見兼ねて、ロビンが自分の故郷のアップステート・ニューヨークへの里帰りに一緒に来いと誘ってくれた。はっきりとは覚えていないが、シラキュースあたりだった気がする。そしてそれはたった2泊3日ほどの旅だったのだが、私のその後の人生を変えるきっかけをくれた旅でもあった。
後編へつづく
2015年10月29日木曜日
小さな旅〜姫路編〜
先週、彼の実家のある姫路で、大きな秋祭りがあるというのでお邪魔した。
「魚吹(うすき)の提灯祭り」というそのお祭りは、暗闇の中を竹竿に括りつけた提灯を高く掲げて練り歩き、楼門の前にさしかかるとお互いの提灯を叩き割り合うという、幻想的かつ血の騒ぐものだった。(外国人に見せたら、"Exciting!!"と言うのだろうなあと思った)
冷んやりと澄んだ夜空に浮かぶ上弦の月と、「ヨイヨ!ヨイヨ!」と掛け声を上げながら町内を進むまわし姿の男達の姿がとても印象的だった。
途中、暗がりにぼうっと浮かぶ田んぼや、「シャディのサラダ館」(何なのかはよく解らないが懐かしいものの代表)などに目を奪われ、その都度立ち止まり、またブラブラと神社に向かって歩いた。
ひと通りお祭りの熱気を堪能した後、ベビーカステラのあま〜い匂いが漂ってきたので、買うことにした。ベビーカステラを売っている屋台はたくさんあったのだが、より美味しそうなベビーカステラを求め歩くうち、最後の屋台に行き着いてしまったので、そこで買うことにした。
ブラブラと焼きたてを食べ歩きしながら、ベビーカステラというものは、その美味しそうなあま〜い匂いがたまらないのであって、味はそこまででもないんだなあ、、と思った。(それか、もっと美味しい屋台があったのかもしれない)その感想を口に出して言うと、彼も全く同じように感じていて嬉しかった。
翌日は、近所を案内してもらうことになった。
網干(あぼし)というそのエリアは、用水路や、揖保の糸のお素麺で有名な揖保川など、私にとっては珍しい風景ばかりで、飽きずにずっと歩いていられるなあと感じた。
その中でも、私の心を捉えて離さなかったのが、「橋本町商店街」という古い商店街だった。俗に言う「シャッター通り」なのかなと思ったが、彼曰く、小さい頃は栄えていたらしい。もちろん、当事者にとってはシャッターを下げたかった訳ではなかったのだろうし、悲しいことなのだろうが、そうした栄枯盛衰の跡や、ピカピカでないものがそのままの状態になっていることに、私はとても心が惹かれた。
対照的に、姫路駅から姫路城へ向かう通りにある商店街は、姫路最大の観光地だけあって、人通りが多く、ピカピカで、血が通っているのだが、私は「橋本町商店街」の全盛期を想像しても、こちらの方が好きだなあと思った。
ボロボロの屋根も、失敗や残骸といったネガティブなものではなくて、時を重ねてできたシミやシワというか、枯葉というか、そんな美しささえ感じた。
この春に改修を終えて、真っ白ピカピカの姫路城も壮観だったが、「小さな旅」のタイトル通り、個人的に心に残るものというのはこうした小さなものかも知れない。
これからも沢山の小さな旅を続けていきたいと思う。
2015年10月19日月曜日
磁場のある店
街じゅうに、星の数ほど並んでいる商店の中で、惹きつけられた1軒のお店について。
今年の7月に、美容室帰りに母校の図書室へ向かう道すがら、ピャッと吸い込まれた渋谷の古着屋 。("Birth Death"という)
服にはあまり詳しくない私でも、なにか無性に興味を惹かれる品揃えで、生地や縫製の仕方や時代背景など、私のしている印刷仕事にも共通する価値観がたくさん発見できるのが楽しい。
だが、この店を何度も覗くようになった一番の要因は、 なんと言っても、奇妙な磁場を発している小さな一角だ。音楽やアートや本、ポスターや国籍不明の人形など、どれをとっても物凄く濃厚な引力をもっている品々が揃えられており、始めて訪れた時には呆然としてしまった。
その時店内に流れていた中東のインディーズ音楽を始め、店長らしき男性に色々と教えてもらい、CDを数枚買った。自分の部屋と脳内を、無国籍化したい時にかけている。
「マーケティング」が商売の要だと考える種類の人には決して出来ないであろうセレクションに、久々にゾクゾクしている。
人の目を気にする前に、自分の世界をとことん掘り下げることが、結果的に他人にも響く何かを発するようになる近道なんだなあ、と改めて感じたのだった。
今年の7月に、美容室帰りに母校の図書室へ向かう道すがら、ピャッと吸い込まれた渋谷の古着屋 。("Birth Death"という)
服にはあまり詳しくない私でも、なにか無性に興味を惹かれる品揃えで、生地や縫製の仕方や時代背景など、私のしている印刷仕事にも共通する価値観がたくさん発見できるのが楽しい。
だが、この店を何度も覗くようになった一番の要因は、 なんと言っても、奇妙な磁場を発している小さな一角だ。音楽やアートや本、ポスターや国籍不明の人形など、どれをとっても物凄く濃厚な引力をもっている品々が揃えられており、始めて訪れた時には呆然としてしまった。
その時店内に流れていた中東のインディーズ音楽を始め、店長らしき男性に色々と教えてもらい、CDを数枚買った。自分の部屋と脳内を、無国籍化したい時にかけている。
「マーケティング」が商売の要だと考える種類の人には決して出来ないであろうセレクションに、久々にゾクゾクしている。
人の目を気にする前に、自分の世界をとことん掘り下げることが、結果的に他人にも響く何かを発するようになる近道なんだなあ、と改めて感じたのだった。
ところせましと並べられた雑貨の間に、
無造作にJoseph Beuysの"Postkarten"(木のポストカード)
が置かれているのも堪らない。
登録:
投稿 (Atom)


















