2015年12月13日日曜日

してきな週末 in 鎌倉

ちょうど一週間前の日曜日、ウチダゴウさんという方の詩の朗読会に参加しました。

小さな偶然が重なってのことでした。(全てがそうかもしれないけれど)

はじめにウチダさんのことを知ったのは、数ヶ月前に、活版印刷関連の画像検索をしていて、とあるカードの画像を「お!?」と気になってリンク先を辿ったのがきっかけでした。

「してきなしごと」と名付けられたホームページの中の、「花の銅版画」と名付けられたその繊細な詩のカードは、詩が銅版画のような奥行きを持つと感じられたことから命名され、その気配を表現するために活版印刷で刷られている、というものでした。「えっと、まず、詩が銅版画っぽい、それから銅版画っぽさを出すための活版印刷」という、左脳で考えようとすると一瞬混乱してしまうような思考の過程も、右脳で想像すると、「ふむふむ、ゴクリ、うまい」とお茶を飲むようにすんなりと入ってくるのでした。

気になってAbout欄を読むと、「世界は気分でできています」という言葉にはじまり、「世界の正解より気分に素直」で締めくくられるそのページと、「詩人/グラフィックデザイナー」という肩書きを見て、「ぬぬぬ!」と思いました。(どんなだ)
その他のお仕事欄を見ると、手がけられたロゴデザインの数々もどこか詩的かつ簡潔で、すぐに自分のパソコン上の「気になるものや人フォルダ」へクリップしたのでした。

それから数ヶ月経ったある日、フェイスブックで、この春(私がバクテリアの活版ポストカードを蠢かせた)活版展でお世話になった、鎌倉のbooks mobloの店主の 荘田さんから、とある詩の朗読会の招待状を受け取りました。
「ウチダゴウ朗読会 ながいたび」という題名を見て、「あの、気になる人フォルダの!」と、慌てて参加ボタンを押しました。

そして先週、彼氏を誘って、春以来となる鎌倉を訪れました。
休日の鎌倉は、特に小町通りはまるで竹下通りのように賑わっていたので、裏道を歩くことにしました。(もともとそっち派だけど)
コーヒーを飲んで、歩いて、またコーヒーを飲んで、ラーメンをズズっと食べたらあっという間に日が暮れたので、朗読会の会場であるbooks mobloへ急ぎました。

考えてみれば、前々から詩は大好きなのに、朗読会というものに参加するのは初めてでした。
店頭で頂いた異様に美味しいホット・レモネードを啜りながら、朗読が始まるのを待っていると、少し緊張してきて、それで「そういえば、こういうの初めてなんだ」と気がつきました。

絵でも演劇でも踊りでも音楽でも、何かを鑑賞する時は「我を忘れる」のが一番で、緊張なんてするのは「それを観ている自分、聞いている自分」が他人からどう見られているか意識してしまっていて、ちゃんと味わえていない状態だよな〜と思いつつ、わかっていても、すぐには真っ白になれないのでした・・・。

ウチダさんの朗読が始まってしばらくは、自分が唾を飲み込む回数や音が気になり始めたり、ソワソワしていたのですが、いつの間にか、ウチダさんの出会った旅先での情景が、朗読とともに浮かび上がってくるようになりました。詩の朗読もさることながら、一編読み終える毎に 話されるエピソードがこれまた面白く、詩の背景を思い浮かべる手助けをしてくれて、ああ、これが朗読会の醍醐味なんだな、と感じました。

途中、ウチダさんが持ってこられたウィスキーの話になり、飲んべえ客は少し頂くことになりました。名前は忘れてしまいましたが、ほんのり花のような香りのするスコッチ・ウィスキーをチビチビ傾けながら、さらに(我を忘れて)詩の先にある世界へ飛んで行きました。

朗読会の後に少しお話しした際に、ウチダさんが「写真の代わりに詩で伝える旅行ガイドがあれば面白いと思うんです」というようなことを仰っていて、ああ、それは確かに可能なことなんだと思いました。むしろ、モン・サン・ミッシェルの素晴らしい写真を見て期待を膨らませて訪れたら、(お城を渦巻く土産物屋が)まるで熱海の土産物屋じゃないかあ!と憤慨した私も、写真でなく言葉のみ、それも詩でまだ見ぬ地への思いを馳せていたら、違う感動が見つけられたかもしれないのです。そして、朗読会が終わって一週間経った今も、まだ行ったことのない「私の想像する」エディンバラの風景がくっきりと浮かぶということは、すでにそれが成功しているということでしょう。

朗読会後に購入した「空き地の勝手」という詩集を読みながら、詩に登場するウェイターや痴呆老人、ヒーローや総理大臣になった気にもなれる為、詩のみで構成された職業案内もアリなのでは、と勝手に想像しています。

とても してきな 週末でした。



ウチダゴウさんのホームページ:






2015年11月28日土曜日

小さな旅 〜Upstate New York 編〜(後編)

軽い気分転換のつもりで出かけた旅先で目にした雑誌の1ページで、まさか進路が本当に変わるとは、この時は思っていなかった気がする。
だけど、今でも鮮明に思い出せるそのページは、間違いなく今の私に至るあみだくじの起点だった。

少し遡ると、この19歳の時の1年間のニューヨーク留学に踏み出す前の年、私は大学に入学したものの、女子大の雰囲気に馴染めず(高校は女子校でも馴染めたのですが)、どうにか突破口を見つけようと、夏休みに興味のあることに片っ端か手を出してみていた。

まずは絵を描くこと。これは、今でも好きなのだが、本物の画家のように「描かずにいられない」という衝動がないことに気がつき、「んー、趣味でいっか」となった。(諦め早い)

次に、歌を歌うこと。この頃、通っていた大学と交流のあるK大の合同音楽サークルに入っていて、今思うとゾッとするのだが、楽器が弾けないという理由だけでガールズバンドのボーカルを担当していた。
ある日、K大の講堂でライブをやることになり、知り合いは誰一人呼ばずに当日を迎えた。
曲目は、当時好きだったバングルスの"Eternal Frame"と、ジュデイ・アンド・マリーの"Power of Love"の2曲だった。前者はバラードでゆっくりなのでなんとか歌えたのだが、後者は自分で選んだくせに、テンポの速さと高音と緊張とでズタボロだった。みじめだった。これを機に、歌はカラオケでいいやと決めた。

最後に、映像を撮ること。
これは、90年代後半当時ハマっていたMTVの影響が大きく、Daft PunkやBjorkなどのミュージックビデオを見ては「なんてクールなんだろう。私も撮ってみたい!」と鼻息を荒くしていた。そこで、当時通っていた英会話のグループレッスンで出会った女性が、ちょうど映像科に通っていて、高いビデオカメラを持っているというので、私が脚本兼監督、彼女が映像を撮るという条件付きで(勢いのみで)決行した。正直、ストーリーは一切覚えてないが、見た目の良い友人に頼んで、恵比寿の高架下で意味なく何回もダッシュをしてもらったことだけは覚えている。確か、Apollo440というミュージシャンの曲に合わせて。今思うととてつもなく青臭くて恥ずかしい内容だったと思うのだが、当時から重度のポジティブ思考だった私は、なぜか「これだナ」と感じてしまったのだ。しかも、この時の映像は、カメラを持っていた女性と喧嘩別れをしたことで、一度も見ることなく終わったにも関わらず。(出来れば、このまま一生見ることなく終えたい。)
それでも、絵や音楽よりかは向いている気がして、そのまま物凄い勢いで両親を説得し、ニューヨークへ飛び立ったのだった。

このような感じで、1997年の夏休みは「自分探し」ならぬ「自分の進路探し」に明け暮れていたのだが、翌年の春にニューヨーク郊外の田舎町の寝室で、進路がほぼ決定されようとは予測していなかった。

ロビンの実家からマンハッタンに戻ってすぐに、ユニオン・スクエアの"Barnes & Nobles"(大きな書店)で、初めの晩に目にした"Wallpaper" 誌の同じ号を購入し、その足で図書館へ行き、ニューヨークと東京のプロダクトデザインが学べる学校を探しあげた。

その後、ニューヨークではアートやデザインに関連する授業を聴講したり、街の空気を吸収することに勤しんだ。
帰国してからは、その時図書館で調べたデザイン学校のプロダクトデザイン科を受けて、入学・卒業し、デザイナーとして就職した。その後またひょんなことから、今度は活版印刷を理由に渡米して5年の滞在を経て帰国し、今に至るのだが、目を細く絞って振り返ってみると、多少ジグザグはしているものの、あの日雑誌をめくったときに「私はここがいい」と決めた領域には居るように思える。

微弱な電波にピピッと過剰に反応する思い込みと、小さな旅が重なって、今の私がいる。
この狂ったアンテナは、ちょっと大事にしたいと思う。




98年の6月頃、ミッドタウンのアパートの前でお別れの抱擁をするロビンと私



98年の夏頃流行っていたこの曲を聞くと、当時の記憶が蘇る

2015年11月18日水曜日

小さな旅 〜Upstate New York 編〜(中編)

ロビンの実家は、マンハッタンとはまるで違い、緑の深い場所にある、アメリカらしい一軒家だった。明るく誠実そうなお父さんとお母さんに出迎えられ、ゲストルームへ案内された。

"Make yourself at home"「(自分の家みたいに)遠慮なく寛いでね」
と言われた通り、伸び伸びさせてもらうことにした。

ゲストルームで荷物をほどき、ベッドサイドを見ると、"Wallpaper"という雑誌が置いてあった。初めて目にする雑誌だったが、ロビンの専攻であるインテリアの雑誌だと察しはついた。

夕ご飯まで時間もあるし、と寝そべってパラパラと捲り始めると、あるページで手が止まった。それは、シンプルな作りの花瓶やコップなどの写真と、それを作ったと思われる学生たちと先生が、教室のような所でカジュアルに立ち話をしている写真が載っているページだった。なぜか無性にその見開き2ページの世界観に惹かれた私は、夕食時にロビンに「ねえ、この人たちは何をしているの?こういうデザインはなんていうジャンルのものなの?」と興奮気味に尋ねた。

"It's called product or industrial design, and they are students."「これはプロダクトデザインとかインダストリアルデザインと呼ばれるもので、彼らは学生だよ」とのことだった。

この頃、ロビンからいわゆる「活きた英語」を沢山教わった。
その中でも、始めは聞き取れずにいたのに、帰国時には連発するまでになったのが、
"Awesome!"(アーサム)という言葉だ。意味は、"Cool"(クール)と同じようなもので、もっと今ドキ風の言葉とのことだった。

私は早速覚えたての"Awesome"を使って、そのプロダクトデザインとやらに無性に興味があること、マンハッタンに帰り次第、図書館で(ネットがなかったので)学べる学校を探そうと思うことなどをロビンに伝えた。ノリの良い彼女は、やったねエミコ、やりたい事みつけたね!協力するよ、と言って、ハグをして自分の部屋へ戻っていった。

私は胸が高鳴って眠る気になれなかったので、そのまま居間に残り、テレビを点けた。
MTVで、プリンス特集を流しているところだった。
パープル・レインのPVを見ながら、この人すごいなー、と思った。楽器はなんでも弾けて、声自体もエレキギターみたいで、毛深そうな上に身長も小さいのに、コンプレックスにもせず、むしろ自信満々で。見ていたら、なんだかムクムクと勇気と希望が湧いてきた。
(別に私の身長のせいではナイ)

翌朝は、夜更かしにも関わらず、スッキリと目覚めた。


〜後編へ続く〜

※書いているうちに色々と思い出してしまったので、
前・中・後の長編になってしまいました...。

2015年11月6日金曜日

小さな旅 〜Upstate New York 編〜(前編)



初めてニューヨークで「暮らした」のは、19歳、1998年の事だった。

当時はインターネットはおろか、携帯電話も普及していなかったので、手描きのルームメイト募集の張り紙をあちこちの美術大学の廊下に貼りに忍び込んだりした。

レターサイズの目立つ色の画用紙に、マジックで下記の情報をイラストを交えながらババッと書いた。

・Japanese girl, looking for a roommate (当方日本人女性、ルームメイト募集中)
・E.26st, Midtown, Manhattan (東26丁目、ミッドタウン、マンハッタン)
・Rent $XXXX/Month, One month deposit (家賃◯◯ドル、敷金ひと月分)
・Seeking for a polite WOMAN (礼儀正しい女性を募集)
・Non-smoker (禁煙者)
・Please contact 212-XXX-XXXX (ご連絡はこちらまで)

このようなことを、街中で見かけた張り紙や、ビレッジボイスなどの募集広告を見て、見よう見まねで書き連ねた。下の部分に電話番号を10列くらい書き、境目にハサミで切り込みを入れて、気になる人がいれば、そこだけもぎ取れるようにした。
(今のようにネットで拡散の心配がなかった頃は、このように個人情報はあけっぴろげだったような気がする)

メールがないため、電話番号を書く他なく、初めはドキドキしたものの、2、3人と対応している内に、電話越しの話し方だけで(自分にとって)アリかナシか何となくわかるようになった。確か4人目くらいにかけてきてくれたロビンという同い年くらいの女性の話し方にピンときたので部屋を見に来てもらい、お互い気に入り、少しの間一緒に住むことになった。

私の方は、ニューヨーク・フィルム・アカデミーという映画学校へ通う為に渡米したものの、あることがきっかけで取りやめにし、渡米ひと月目にして先行きが白い煙に覆われていた。

ある日、そんな私を見兼ねて、ロビンが自分の故郷のアップステート・ニューヨークへの里帰りに一緒に来いと誘ってくれた。はっきりとは覚えていないが、シラキュースあたりだった気がする。そしてそれはたった2泊3日ほどの旅だったのだが、私のその後の人生を変えるきっかけをくれた旅でもあった。


後編へつづく


2015年10月29日木曜日

小さな旅〜姫路編〜


先週、彼の実家のある姫路で、大きな秋祭りがあるというのでお邪魔した。

「魚吹(うすき)の提灯祭り」というそのお祭りは、暗闇の中を竹竿に括りつけた提灯を高く掲げて練り歩き、楼門の前にさしかかるとお互いの提灯を叩き割り合うという、幻想的かつ血の騒ぐものだった。(外国人に見せたら、"Exciting!!"と言うのだろうなあと思った)

冷んやりと澄んだ夜空に浮かぶ上弦の月と、「ヨイヨ!ヨイヨ!」と掛け声を上げながら町内を進むまわし姿の男達の姿がとても印象的だった。

途中、暗がりにぼうっと浮かぶ田んぼや、「シャディのサラダ館」(何なのかはよく解らないが懐かしいものの代表)などに目を奪われ、その都度立ち止まり、またブラブラと神社に向かって歩いた。

ひと通りお祭りの熱気を堪能した後、ベビーカステラのあま〜い匂いが漂ってきたので、買うことにした。ベビーカステラを売っている屋台はたくさんあったのだが、より美味しそうなベビーカステラを求め歩くうち、最後の屋台に行き着いてしまったので、そこで買うことにした。

ブラブラと焼きたてを食べ歩きしながら、ベビーカステラというものは、その美味しそうなあま〜い匂いがたまらないのであって、味はそこまででもないんだなあ、、と思った。(それか、もっと美味しい屋台があったのかもしれない)その感想を口に出して言うと、彼も全く同じように感じていて嬉しかった。

翌日は、近所を案内してもらうことになった。

網干(あぼし)というそのエリアは、用水路や、揖保の糸のお素麺で有名な揖保川など、私にとっては珍しい風景ばかりで、飽きずにずっと歩いていられるなあと感じた。

その中でも、私の心を捉えて離さなかったのが、「橋本町商店街」という古い商店街だった。俗に言う「シャッター通り」なのかなと思ったが、彼曰く、小さい頃は栄えていたらしい。もちろん、当事者にとってはシャッターを下げたかった訳ではなかったのだろうし、悲しいことなのだろうが、そうした栄枯盛衰の跡や、ピカピカでないものがそのままの状態になっていることに、私はとても心が惹かれた。

対照的に、姫路駅から姫路城へ向かう通りにある商店街は、姫路最大の観光地だけあって、人通りが多く、ピカピカで、血が通っているのだが、私は「橋本町商店街」の全盛期を想像しても、こちらの方が好きだなあと思った。

ボロボロの屋根も、失敗や残骸といったネガティブなものではなくて、時を重ねてできたシミやシワというか、枯葉というか、そんな美しささえ感じた。

この春に改修を終えて、真っ白ピカピカの姫路城も壮観だったが、「小さな旅」のタイトル通り、個人的に心に残るものというのはこうした小さなものかも知れない。

これからも沢山の小さな旅を続けていきたいと思う。























2015年10月19日月曜日

磁場のある店

街じゅうに、星の数ほど並んでいる商店の中で、惹きつけられた1軒のお店について。

今年の7月に、美容室帰りに母校の図書室へ向かう道すがら、ピャッと吸い込まれた渋谷の古着屋 。("Birth Death"という)

服にはあまり詳しくない私でも、なにか無性に興味を惹かれる品揃えで、生地や縫製の仕方や時代背景など、私のしている印刷仕事にも共通する価値観がたくさん発見できるのが楽しい。

だが、この店を何度も覗くようになった一番の要因は、 なんと言っても、奇妙な磁場を発している小さな一角だ。音楽やアートや本、ポスターや国籍不明の人形など、どれをとっても物凄く濃厚な引力をもっている品々が揃えられており、始めて訪れた時には呆然としてしまった。
その時店内に流れていた中東のインディーズ音楽を始め、店長らしき男性に色々と教えてもらい、CDを数枚買った。自分の部屋と脳内を、無国籍化したい時にかけている。

「マーケティング」が商売の要だと考える種類の人には決して出来ないであろうセレクションに、久々にゾクゾクしている。

人の目を気にする前に、自分の世界をとことん掘り下げることが、結果的に他人にも響く何かを発するようになる近道なんだなあ、と改めて感じたのだった。




ところせましと並べられた雑貨の間に、
無造作にJoseph Beuysの"Postkarten"(木のポストカード)
が置かれているのも堪らない。

2015年10月11日日曜日

スピード違反

先週、また例の昔ながらの喫茶店に立ち寄った。

まだ数回しか通っていないけれど、早速お気に入りの席ができたので、空いている場合は迷いなくそこに直行する。

今回も、迷わず座ったのだが、注文をとってもらってから「しまった」と少し後悔した。
パーテーション越しの隣の男性客二人の しゃべり声の音量がMAXだったのだ。
公募ガイドを読むのに集中したかったので、席を変えようかとも思ったけれど、(私の大切に思っている)お店の奥様に面倒をかけたくないのと、話の内容がちょっと面白くなってきたので、公募ガイドチェックはそこそこに、盗み聞きを楽しむことにした。

(ちなみに、盗み聞きのことを英語で"eavesdrop"(イーブスドロップ)と言うが、語源が気になり調べた所、"eaves(家の軒)"+"drop(滴り落ちる水滴)"、つまり雨だれから来ているとのことだった。「盗み聞き」より風流な感じがする。)

男性客は、二人ともおそらく30代半ばくらいの、なんらかのベンチャー会社の若い社長同士という感じだった。しきりに、互いの事業計画の意見交換を行っている。
印象は、内容はともかく、とにかく早口だった。

男性A「野菜くるよ、野菜。儲かるよ〜」
男性B「え、ガチ?」
私の心の声・・・(え、ガチ??(白目))

男性A「そうそう、山はいいよぉ、マイナスイオン半端ないからチョー癒されるし」
男性B「わっかる!ラスベガスでもさー、24時間マイナスイオン出す装置あるのよ。あれ、浴びたらノンストップで遊べるよ」
私の心の声・・・(ガチで!?)

と、ひとり密かに会話に合いの手を打って楽しんでいたところで、Aが追加注文のために奥様を呼んだ。

男性A「すいません、コーヒーと、カフェオレください。」

奥様「はい。コーヒーは、マンデリンでよろしいですか?」

男性A「あ、やっぱコーヒーはアイスで、カフェオレはホットで」

奥様「はい。では、コーヒーはアイスで、、こちらはマンデリンでよろ、、」

男性A「あやっぱ、どっちもコーヒー、ふたつともホットで」

奥様「はい。それでは、ホットコーヒーを、お二つですね?マンデリンで、、」

男性「えーと、ひとつはアイスで、ひとつはホットで」

奥様「......あ、それでは、ホットコーヒーとアイスコーヒーをそれぞれお一つずつですね?かしこまりました...」

私の声は危うく「心」の枠をはみ出して、本物の「声」になりそうだった。

「おい!!赤あげて、白下げて、 白あげないで赤下げる、か!!それからマンデリンでいいのか奥様が何度も聞いてるだろ!!答えろ!」と。

さらに悪夢なことに、Aはとにかく異常なくらいの早口で、対して奥様は、悠久の時を体現しているようなゆったりとした口調なのだ。かといって、Aがフェラーリで奥様が牛車なのでは決してなく、Aはやっつけで組み立てた車が速度を守らずただ暴走している感じで、奥様は高級セダンが安全運転でゆっくり静かに走っている、という感じなのだ。

私だったら、ここまで早口で一方的で、しかもコロコロと注文内容を変える客には、マンデリンの「ガチ」ホットを頭頂から注いでしまいそうな所を、この奥様は「イラリ」ともせずに、終始ひたすら誠実に聞き取ろうとし、丁寧に接した。もう、奥様の大大ファンである。

別に、やる気みなぎるベンチャー社長談義をバカにしている訳ではない。
それどころか、笑えるくらい早口になるほど仕事に夢中なのは気持ちがいいと思ったほどだ。
ただ、「顧客心理がどうの」「ニーズに合わせるのが大事」「ユーザー目線」「現場主義」などと超早口で出てくるキーワード達が、先の奥様とのやりとりで机上の空論なんだな、と感じてしまった。
だって、自分の会話の速度で奥様に接して伝わるか、伝わらない場合は誰のせいなのかを全く考えていないのだから。喫茶店の注文時ですら雑なコミュニケーション能力で、どうやって「顧客心理」を操るのか、とても謎である。

それにしても、こういう場面に出会えるからこそ、また行きたくなってしまう。
そして、次回からは「ホットコーヒーを、マンデリンでお願いします」と注文しようと固く決めたのだった。ガチで。





2015年10月5日月曜日

マイ・ベスト・アルバム





誰でも、数十年生きていれば、「擦り切れるくらい聞いたアルバム」というものがあると思う。私の場合、レコードではなくCDだから、実際には擦り切れはしないのだが、擦り傷程度は沢山ついている。

今までに買ったCDは、ほとんどパソコンに音楽データを取り込んでいるのだが、本当に良く聞くものだけはCDアルバム自体をプレーヤーの 上に置いてある。

その中でも、小学校の頃から今まで、どんなに不調な時に聴いても「調子が整う」魔法のアルバムがある。母が1980年代後半に買ってきた、ポール・サイモンの「グレイスランド」というアルバムだ。1986年にポールが南アフリカのミュージシャン達と創り上げたこのアルバムは、色鮮やかで、アフリカの大地と都会のビル群をなぜか同時に思い浮かべさせられる、最高のアルバムだ。

一番始めに「マイ・ベスト・アルバム効果」を感じたのは、確か小学校5年生くらいの時だった。どこかへ遠足に行くという日の朝、前日から憂鬱に感じていた私は、起き抜けにこのCDをかけてみた。何曲目まで聞いたのかは覚えていないが、すでに全曲のメロディと順番を覚えているほど聞き込んでいたので、そのまま集合場所の東中野まで歩く間、ずっと頭の中で再生していたのを覚えている。頭の中でも、ちゃんとアルバム収録の曲順で再生していた。そして、東中野に着く頃には、すっかりモヤモヤは吹き飛ばされ、晴れ晴れとしたアフリカの空のような気持ちになっていた。

病は気からというが、ここ2週間も、気管支炎や併発した不調によって寝込んでいたら、病のせいで気が落ち込んでいくのを感じた。
そんな時はと、プレーヤーの上に置いてある「グレイスランド」に布団の中から手を伸ばし、再生を押した。

「あ〜、これこれ」

一曲も飛ばさず、全曲聞き終わる頃には、呼吸も楽になった気がした。
私の知る限り、自分はアフリカには何の縁もゆかりもないのだが、そしてサイモン・アンド・ガーファンクルはそんなに好きでもないのだが、このアルバムは人生のいつ再生しても、私の中の隠れマサイの血をザワザワと目覚めさせてくれる。元気になる。
これから先も、何度も私の調子を整えてくれるだろう。


それにしても...このコンサート、この場にいたかった!!!



Paul SImon
"Diamonds On The Soles Of Her Shoes"



Paul Simon
"Graceland"


2015年9月27日日曜日

トゥルー・ストーリーズ

先週から引きずっていた風邪を完全にこじらせてしまい、声も出ず、床に伏す以外ないので、友人から借りたポール・オースターの「トゥルー・ストーリーズ」を読んでいた。その中に、ソフィ・カルに宛てた「ゴッサム・ハンドブック」という章があり、下記のような一節があった。

「パンやチーズを蓄えておくこと。家を出るたびに、サンドイッチを三つ四つ作ってポケットに入れていくこと。腹を空かせた人を見るたびに、サンドイッチをひとつ渡すこと。」

これを読んで、思い出した光景がある。
2011年の、ちょうど今頃の季節だったと思う。

ニューヨークのMTA(地下鉄)でブルックリンからマンハッタンへ向かっていた車内で、ある女性の姿が目に付いた。

白髪が肩くらいまで伸びたおかっぱで、年は判らないが「老女」と言える年齢だった。
窓際の席で、何か申し訳なさそうに、なるべく世の中の邪魔にならないように、縮こまるようにして目をつぶっていた。

その全身からは、悲しみが溢れていた。そして、自分の人生にいい事はもう起こらないであろうという諦めた様子が、何度もつくため息から伝わってきた。疲れ切った様子からして、始発から終点まで、終点から始発までと、ずっと乗り続けてきたのだろう。

なぜ特別に目に付いたかと言うと、衣服の汚れなどから明らかにホームレスとわかるのだが、汚いという感じはなく、妙に品があったからだ。そして、佇まいが美しかった。

ニューヨークのホームレス達はとても逞しく、車内を"Please help me."と紙コップをジャラジャラ鳴らして周ったり、踊ったり歌ったり、自分の不幸な身の上を大声で演説したり、急に逆ギレしてみたりと、とにかくパワフルに積極的に生きているイメージがあったので、この物静かで品の良いホームレス老女は、逆に目立っていた。

色んな事情をあれこれ想像しながら揺られている間に、電車はマンハッタン・ブリッジを渡り、ウォール・ストリート駅に到着した。 ドアが開くと同時に、私と同じ側に座っていた若い女性が、風のようなさりげなさと素早さで、自分で作ったと思われるサンドイッチを老女の膝の上にそっと置いて降りて行った。ドアが閉まり、ようやく目を開けた老女は、サンドイッチに気がつき、"Oh my god..."と呟き、辺りを見廻して、礼を言うべき人は既に降りたのだと気がつくと、ゆっくりとした動作で大事そうにサンドイッチをカバンにしまった。
そしてまた固く目を閉じて、まるで進んで世の中の罰を受けているような様子で、空中の悲しみを全身で吸収していた。

普段なら、私はよほど気に入った芸を披露したホームレスにしかお金を 渡してこなかったのだが、この老女にだけはどうしても何かをしたかった。
先ほどの若い女性のさりげなさとスピード感にいたく感銘をうけたことと、次のフルトン・ストリート駅で降りなくてはならないことに背中を押され、財布を開いた。
中には1ドル札が数枚と、10ドル札が1枚しか入っていなかった。
それまでホームレスに渡してきた額は、最高で5ドル(とても美しい声で歌う黒人男性に)だったが、普段は1ドルがせいぜいである。そして、ニューヨーカーがホームレスに渡す額の相場も、25セントから1ドルが平均である。

少し迷ったが、10ドルを渡したところで私にとってはお昼1回分程度だと考え、若い女性に倣って、ドアが開いた瞬間に老女の方へ歩み寄り、お札だから飛んではまずいと、膝に組んで置かれた手と手の隙間にそっと差し込んで、降りた。
さりげなくできたかな!?できたかな!?と心臓バクバク興奮している時点で、実にさりげなくなかったと思う。

ドアが閉まり、何気なく(意識たっぷり目に)振り返ると、老女が立ち上がって、窓をバンバン叩きながら、こちらに向かって"Thank you! Thank you!"と叫んでいるのが見えた。そういえば、車内には私しかいなかったのだ。思わず、日本風に照れ笑いを浮かべながらペコペコっとお辞儀をしてしまった。風というよりも水汲みポンプのようになってしまった。

あの老女は今頃、どうしているだろうか?
そして、あの若い女性はポール・オースターを読んでいたのだろうか?

それはもう分かり得ないので、ここまでが、私のトゥルー・ストーリーである。













2015年9月20日日曜日

手品師

先週、とあるデパートでの催事、4日目でのこと。

売り場で実演販売をしていた私の側に、ひとりのおじいさんが寄ってきた。
実演販売の品は、どちらかと言うと女性向けの商品だった為、4日目にしてようやく板に付いてきた口上は引っ込めて、「こんにちは」と普通の声で話しかけてみた。

すると、おじいさんは待ってましたとばかりに、唐突にポケットから赤いスポンジ玉を取り出し、手品を披露し始めた。それは、おそらくは誰もが知っている、片手からもう一方の手に玉を移動させる、昔ながらの手品だった。

ほんわか楽しい気分になって、「今の、どうやったんですか?もう一回やって見せて下さい」とリクエストすると、嬉しそうに何度もやって見せてくれた。「あ、、もう結構です」とも言えずにいると、今度はトランプを使った手品も見せてくれた。こちらも、とてもシンプルかつベーシックなもの。種明かしと小道具の作り方まで教えてくれた。

「わー、すごい」という私の反応に気を良くしてくれたのか、おじいさんはデパートをグルッと周っては私の売り場に戻ってくる、を繰り返して、結局 、計2時間は何かしらを披露してくれたり、喋りかけてきた。その内、「こうした方がもっと売れるんじゃない?」等、私の販売技術についてのアドバイスもしてくるようになった。

他のお客さんもいるので、少しだけ困ったなと感じ始めていた頃、「じゃ、がんばってね!」と風のように去って行った。

その後、閉店まで30分ほどあったのだが、その間にそれまで全く売れなかった商品のひとつが売れた。おじいさんがアドバイスしてくれた方法、「相手が何を求めているかをただ見極めること」を実践しただけで。

「あなたほど私の手品に興味を持ってくれた人はいないよ、孫にも喜ばれないし」と言われたが、私の小学生の頃の将来の夢は「手品師」だったのだということを思い出した。
父がお土産に手品グッズを買ってきてくれたのをきっかけに、忍術や手品の本を夢中で読んだ。

ある日、小学校の何かの発表会でとっておきの手品を披露したところ、クラスメイトのM君に「また渡辺のくだらない手品がはじまったぞ〜!」と冷やかされて、泣いてしまったのを覚えている。それから簡単にくじけたのか、手品への興味も急速に薄れて、そんな夢を持っていたことすら忘れていたが、おじいさんのお陰で数十年ぶりに思い出した。

いつか、またおじいさんとバッタリ会うことがあったら、楽しかった時間とアドバイスのお礼を伝えたい。二つ三つ、種明かし付きの手品を披露しながら。








2015年9月11日金曜日

秋晴れ

ここ数日、とある老舗デパートでの催事の為に、久々に満員電車に揺られて出勤している。

今朝は少しはやく着いたので、デパートの周辺を歩いてみた。

どこからか漂う金木犀の香りと、青い空。

やっぱり、朝は外に出て空を見上げなくてはと実感した。

また再開しよう、神田川・朝散歩。





2015年8月31日月曜日

引き際が肝心




この前、雨の青山を歩いていて目を奪われた、路上の葉っぱ。

これを撮った後、

「見てて!」

と言って葉っぱの軸を持ち、雫をスゥーッと落としたのだが、

「サッと引くのかと思ったよ(笑)」

と言われて、少し後悔した。

次にこういう「天然・葉っぱの雫乗せ」(居酒屋のメニュー風)に出会ったら、

迷わず挑戦したい。

堺正章のあの技を。


2015年8月25日火曜日

理想のBGM

フラッと現れてはいつの間にか風のように去っていく(お留守になる)当・フーテンブログですが、やっとこさココ、葛飾柴又へ戻って参りましたので、よろしくお付き合いくださいませ。
今後は、週一回は必ず何かを記すようにします。
(お兄ちゃんにはそんなの無理よ!と、さくらの声)

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最近、とある喫茶店に通うようになりました。といっても、まだ二度しか訪れていませんが。
昭和の面影を残す通りにあるその喫茶店自体は、おそらく私が生まれる前からそこに在るのですが、純喫茶独特の濃厚な雰囲気が店の外にも漏れ出しており、惹かれてはいたものの、遠巻きに見ているだけで入店には至っていませんでした。

映画でも、そういうことがよくあります。
世間でどれだけ名作、大作、全米が泣いたと言われているものでも、自分の気分や周波数があっていない時には見る気が起きません。でも、「時」が来ると、見たくなるんです。
(最近は「男はつらいよ」と周波数が合ってきました)

そんな感じで、先週のある日の夜、その喫茶店にスゥーッと入って行きました。
そういう時は、バズバズとした雑念はなく、本当にラジオの周波数がパチっと合う感じなのですね。アンテナが立っていると。

入り口付近に常連のおじさま達がいたので、少し緊張しましたが、ササッと奥の方の席につくと、腰の曲がった奥さまがゆっくりゆっくりと近づいてきて、優しく上品な言葉遣いで注文を取ってくれました。ケーキセットを注文して間もなく、チーズケーキとサイフォンで淹れたコーヒーを乗せたお盆を、またゆっくりゆっくりと奥さまが運んできました。

酸味が抑えめの、私好みのコーヒーを啜りながら、「公募ガイド」に目を通す至福の時間。そのBGMは、控えめな音量のクラシック音楽と、常連さんと店主による井戸端会議(この日は殺人事件のニュースが主な話題)という、完璧なシチュエーション。

「またいらしてくださいね」と暖かい口調で言われたので、三日も置かずに昨夜もお邪魔すると、「また、ありがとうございます」と覚えていてくれました。

コーヒーの香りと、ゆっくりとした動作が生み出すゆっくりとした時間と、店主と常連客のお喋りから想像する人間模様。

ずっと通い続けたら、日本版「スモーク」の脚本が書けそうです(笑)



次はモーニングが楽しみです。










2015年4月17日金曜日

Happy Aging



高齢化、とか、

孤独死、とか、

年金問題、とか。

私たちを不安にさせたり、憂鬱にさせたりする言葉は溢れているけれど。

以前、このブログの前身「拝啓、パープルタウンより」で「不安タスティック」という記事を書いたのが2009年のこと。
あれから6年が経った今も、世の中は不安を煽る言葉に満ち満ちています。
それは、消費を促す為だったり、戦争をする口実だったり、注目を集める為だったり、様々ですが。

Aさんはホワイト・ハウスに生まれ、

Bさんはダンボール・ハウスで生まれました。

Cさんはスーパーモデル級の容姿、

Dさんはスーパーの特売コーナー級の見た目。

そんな皆に唯一平等に与えられた宿命は「年を取ること」。

だから「アンチ」と言って抗わず、

ウルフギャングやピータールーガーのステーキ肉、

はたまた高級ワインのように

美味しく「エイジング」出来たら、

そんな「高齢人」が増えたら、

世の中とっても愉しいはず。


なんてことを、この動画を見ながら思いました。

36才になった私から、80才の私への手紙代わりに....。






2015年4月8日水曜日

皮に立てる爪 〜きまぐれオレンジロード〜

前述のように、このところ、早朝にパチッと目覚める体質になった。
今朝は6時台(最近にしては遅い方)に目覚めて、布団の中でゴロゴロしながら、山頂の霧のように頭の周りを漂う空想を掴んでみた。
それをそのまま文字型に固めて記事にしようと思う。
(大体いつもそんな感じなのですが)

昨夜、台所に水を汲みに行ったところ、甘夏の香りが漂ってきた。
親戚から送られてきたもののようだ。

今朝、ベッドサイド・寝起き雲にその甘夏が香りごと立ち上ってきて、色々と思い出したりした。
私は、柑橘類ではミカン以外にはあまり手を出さないのだが、それは単に「面倒だから」である。ミカンであれば、「食べたい」と「食べる」の間に隔たりがほとんどなく、思った時にパッとむいてポイッと口に入れられる。
それに比べて、もっと大物〜はっさくや甘夏、オレンジ等〜の柑橘系くだものは、まずあの硬くて厚い皮に爪を立てるのに躊躇してしまうのだ。
もちろん、うちにも「皮むき器 ムッキーちゃん」(←正式名称)はあるのだが、その「皮をむく」こと自体に「よし」と少し気合いが要るのだ。

ところが、うちの両親は少し違う。

父も季節になると、何かしらオレンジ色の大きなくだものを買ってきてはせっせと(ムッキーちゃんを使わず指で)むいて食べているし、母に至っては、中の 房の皮までむいている。(こちらはムッキーちゃんも使って)

特に母は、自分がすぐに食べるためではなく、家族のためにせっせとむくのが、子供の頃は理解できなかった。
大体は、むかれたものはタッパーなどに入れられて、好きな時に食べられるようにしてくれているのだが、ひどい時には母がむいていく側から父や私や姉がパクパク食べていく、なんてこともあった。

あまりのことに、何度か聞いたことがある。

「こんなさあ、むいた側から食べられちゃってムカつかない?」と(食べながら)。
母は決まって「ムカつかないわよ。だって食べてもらう為にむいてるんだから。」と言う。

私はまだ、そこまでの境地には至っていないが、最近ではその気持ちが少しわかるようになってきた。自分のためじゃなくて、誰かに食べてもらうためにむく気持ち。
多分、自分で食べるよりも丁寧にむくんだろうな。

いつか、爪を立てるのに躊躇がなくなった時に、母に近づけるのだと思う。


※動画と記事タイトルは、本文とは特に関係ありません。
同じスタジオぴえろでも、クリィミーマミと違って見てなかったし...。
きまぐれオレンジロード 「もぎたての恋」



2015年4月7日火曜日

散歩小景〜黒猫編










この写真は、神田川散歩を始めた2013年のものだけど、
いつも挨拶を交わしていた黒猫ちゃん(本当にニャーと返事をしたのです)は、
今ではもう見かけない。この前はその代わり、同じくらいの大きさのカラスが同じ位置にいて、「あ、黒猫ちゃん?」と近寄ってから気付いてビクッとした。
今頃、なにか別の黒いものに生まれ変わっているのだろう。きっと。






2015年4月4日土曜日

The Power Of Love


2015年の今年は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』の中で「超未来」として設定されていた年です。























デロリアンはともかく、ホバーボードすらまだ叶っていないよ〜。




...と思っていたら、出ていたんですね!

こちらが今回開発されたホバーボード!
伝説のスケーター、トニー・ホークが試乗しています。





でも、マーティやドックもびっくりの「スマホ」や「スイカ」を当たり前に持てるこの「未来」にいても、もっと先の未来でデロリアンが発明されても、人間の原動力になるものは、結局変わらないんだろうなー、と思います。


"The Power Of Love" Huey Lewis & The News 



The power of love is a curious thing

Make a one man weep, make another man sing

Change a hawk to a little white dove

More than a feeling thats the power of love


Tougher than diamonds, rich like cream

Stronger and harder than a bad girls dream

Make a bad one good make a wrong one right

Power of love that keeps you home at night



You dont need money, dont take fame

Dont need no credit card to ride this train

Its strong and its sudden and its cruel sometimes

But it might just save your life

Thats the power of love

Thats the power of love


First time you feel it, it might make you sad

Next time you feel it it might make you mad

But youll be glad baby when youve found

Thats the power makes the world goround


And it dont take money, dont take fame

Dont need no credit card to ride this train

Its strong and its sudden it can be cruel sometimes

But it might just save your life


They say that all in love is fair

Yeah, but you dont care

But you know what to do

When it gets hold of you

And with a little help from above

You feel the power of love

You feel the power of love

Can you feel it ?

Hmmm


It dont take money and it dont take fame

Dont need no credit card to ride this train

Tougher than diamonds and stronger than steel

You wont feel nothin till you feel

You feel the power, just the power of love

Thats the power, thats the power of love

You feel the power of love

You feel the power of love

Feel the power of love



2015年4月3日金曜日

Weather report


気象情報をお伝えします

関東地方のお天気は 

曇り 時々 晴れ

曇り ところにより にわか雨

晴れ 時々 曇り

雨 ところにより 晴れ

あられが 降るかもしれません
みぞれ の可能性もあります
ひょうには 充分 ご注意ください

集中豪雨となりそうです

その後 快晴となるでしょう

各地の気温を見てみましょう

−5℃ 20℃ 100℃

春らしい陽気となりそうです

真夏日となるでしょう

秋雨前線の南下が遅れております

強い寒気が流れ込みます

降水確率を 見てみましょう

20% 40% 90%

お出かけの際は 傘を忘れずに

洗濯物が よく乾くでしょう

小春日和となるでしょう

南寄りの風が吹くでしょう

ちなみに 当方

気象予報士の資格はございません



2015年4月2日木曜日

〜東京桜景〜 Kanda River Walk

本当のお引越し(というか、帰国)をしたちょうど二年前の春、
5年半ぶりにいわゆる「ちゃんとした会社」に勤めることになった私の
一番の不安材料は、満員電車の憂鬱でも、日本型スクエア・ヘッドになってしまうことへの恐怖でもなく、「毎朝ちゃんと起きれるのかどうか」ということでした。
(NYでも早起きはしていたけど、「定時」がキチンとしていなかったので)

面接時に始めて訪れた、青空にそびえ立つ某社のビルを見上げて、活版印刷という時代に逆行する超絶アナログな環境から、最新のエレクトロニクス(?)技術を持つ会社の超絶ハイテク環境へ急に身を移すことになった可笑しさを感じてました。

そしてなぜか、NYの大企業を舞台にマイケル・J・フォックス扮するメッセンジャーボーイが重役へと登りつめて行くコメディ、「摩天楼はバラ色に」と、同じくNYを舞台にした、メラニー・グリフィス主演の似たようなストーリーの映画(説明が雑...)「ワーキング・ガール」を重ね合わせて、アドレナリンがザワつきました。

単純な私は、その興奮のまま美容院へ駆け込み、昔から私のこうした衝動的かつ時代感無視なノリに応えてくれる美容師さんに、80年代の「パワー・ウーマン」のような髪型にして貰いました。(笑う所です。自分では大変気に入っていたのですが。)

それはともかく、「朝、起きれるかなあ〜?」と心配する私を見て、母が「じゃあ特訓しようか。これから会社が始まるまでの1週間、毎朝5時半起きで神田川沿いを歩こう。」と提案してくれました。始めは「無理。。」と思っていたのですが、始めてみると、神田川沿いに溢れる小さな季節感と、おでこに朝日を浴びる気持ち良さ、神田川の清々しいせせらぎにすっかり夢中になってしまいました。

おかげで、会社が始まってからもしばらくは、神田川散歩をしてから出勤して、それでも8時くらいに着いてしまうので(定時は9時半)、会社に入っているタリーズでモーニング・コーヒーを啜りつつ「ワーキング・ガール」気分を味わっていました。(あくまで気分のみで、実際は仕事の超絶早い同僚Hさんにハッパをかけられるマヌ子でした)

そんな神田川散歩(Kanda River Walkとも言うらしい。そのままだけどw)も、いつしか会社に慣れるにつれて減って行き、残業を繰り返しはじめた頃には、神田川沿いの季節どころか自宅の庭の花の移ろいにすら気付かないようになっていました。
(別に会社が悪いわけではなく、自分のせいですね)

会社を辞めて早や3ヶ月、最近なぜか なぜだか、ご老人もびっくりの早朝〜4時とか5時台〜に起きるようになってしまったのですが、今朝も5時にパチッと目が覚めたら「そうだ、神田川行こう!(そうだ、京都行こうのノリで。ずっと近いけど。)」と思い立ち、先日買って"眠らせて"おいた(そう、ワザと!)運動用のセットアップに着替えて、階下で庭いじりの準備をしていた母を誘い、繰り出しました。

長〜い前置きになりましたが、、、
神田川沿い、今が素晴らしいですヨ!(みんな知ってるか。。)
薄ピンク色の花びらをヒラヒラさせて、「見て!見て!わたしこんなに咲いたのよ!今だけよ!」と言っているみたい。

神田川散歩はひとりでも行くのですが、母と歩くことの利点は、たわいもないお喋りをしながら、色んな花の名前を教えてもらえること、です。
一度では覚えきれないので、写真に撮って、それを誰かに伝えることで少しずつ覚えていこうと思います。

ちなみに、以下の画像に見える薄ピンク色のお花は、
なんと「さくら」と言うそうです。
....マニアック!!























※一番下の写真は、八百屋なのに看板は「イタリーファッション製造・販売 "雅"」という、深い謎に包まれたお店です。(ここで良く野菜を買う)



2015年4月1日水曜日

引越しのご挨拶

拝啓


麗らかな春日和が続いていますが、本日はあいにくの雨ですね。
お元気ですか?

この度、長らく住んだパープルタウン(NY)から
メトロポリス(東京)に引越しをして参りました。

といっても、もう2年前の事なのですが。

先日、私の脳内にも桜が咲き始めて、たわいもない小さなツブヤキを
フッと春の風に乗せてまた飛ばしてみたくなったので、
新たにこのような小部屋を作ってみました。

この都会の片隅から発信するひとり言は、
どこへ流れてどこへ辿り着くのでしょうか。

誰にも読まれなくてもいい、なんて強がりは致しません。
全ての人には理解されなくとも、届く人には届くような、
モールス信号のようなイメージで記して参りたいと思います。

それでは今後とも、宜しくお付き合いください。


敬具